ローマ8:28「すべてのことが益となる」(平舘学兄)

2023年9月10日 礼拝メッセージ(平舘学兄)
新約聖書『ローマ人への手紙』8章28節


8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。


 今日は、宣愛先生、まなか先生が不在で、ピンチヒッターを努めさせて頂くことになりました。残念に思われている方がほとんどだと思いますが、温かい目で、私と神様との出会いについて、そして盛岡みなみ教会への招きについての証を聴いて頂けたらと思います。こんな例もあるんだなと、皆さんの参考になれば幸いです。

 私は、宗教色のそれほど強くない家に生まれたので、信仰とは無縁の生活を送ってきました。それでも、学生時代は世界史オタクだった自分は、キリスト教を含む、各宗教の成立や発展のことには詳しく、また興味を持っていました。

 それは、信仰を求めてではなく、知的好奇心としてであり、その時は宗教否定の結論に達しました。歴史の中で、宗教が及ぼしてきた負の影響、キリスト教であげれば、十字軍であったり、免罪符、宗教・宗派対立・戦争、植民地政策と結託した強制改宗などを知りすぎてしまっていました。

 そんな自分の前に、当時神学生で、後に母教会となる教会で奉仕していた古い友人が、教会に誘ってくれました。でも、そんな私だったので礼拝に行くことは断り続けていたのですが、その友人の根気により、ついに3年越し27歳の時に初めて礼拝に参加することができました。

 しかし、当時はオウム真理教の事件からも日が浅く、自分で考えるのをやめ、教義にしがみつき、社会から大きくずれていった、新興宗教の信者のようになってはいけない、自分で考え、自分で判断することをよしとする、自分の中の価値観から、聖書の教えは大きく逸脱しているように感じました。自分の常識から外れているように感じていたのです。

 ところが、礼拝に行きはじめた、その直後から、職場の人間関係で、たて続けに苦しみが訪れました。体調を崩したり、食欲を失ったりしました。そんなとき、とても温かい人達のいる教会が逃げ場になりました。家族の間にも問題を抱えていて、家の中も決して居心地のよい場所ではなかった自分にとって、教会に来ている時だけは、自分らしい自分でいられる、それは心のバランスを保つための治療のようなものであり、教会依存が高まり、礼拝だけではあきたりず、週に何度も教会に来るようになっていました。


すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

マタイの福音書』11章28節

 母教会に掲げられていたこの御言葉は、当時の私の心の拠り所でした。しかし、それと信仰とは別でした。一生懸命今の試練からの開放を祈りつつも、自分の「罪」とか「十字架の贖い」を直視できていなかったのです。その反動が来ました。試練が緩み、心にゆとりができたとき、たちまち主を求める気持ちが薄れました。結局苦しい時の神頼みでしかなかったのです。

 当時、熱心に礼拝等に通ってはいたので、牧師から聖書の学びも勧められ、週に1回ほど受けていたのですが、これは、「私と神様との戦い」でもありました。独学もして、聖書研究者のようだった私は、前に話したようなキリスト教の負の側面や、旧約聖書に書かれている聖絶(出エジプト記など)と言われる大量殺人、進化論など、徹底的に牧師と議論をしていたのです。まるで、律法学者やパリサイ人のようでした。

 私は、神を信じるという「信仰」をそもそも理解できていませんでした。物事を合理的、理知的に考える習性の私は、聖書の知識を深め、全ての疑問を解決、理解した先に信じることができると思っていたのです。この「神様との戦い」はほぼ毎週、実に1年以上も続きました。しかし、当然ながらこの方法では信じることはできませんでした。付き合わされた牧師先生はいい迷惑だったと思います。

 でも、試練の中にあり自分の事だけ考えて教会に来ていたのが、教会員の方々との様々な交流の中で、ちょっとだけ他人の事も見えるようになってきて、みんなの中にある神様の愛を感じる事ができるようになった時、みんなのことを祈ることが出来るようになり、また、自分の力や考えだけではどうにもならないことがあること、社会の厳しさを突き付けられてきた時、私の頑な心がようやく砕かれてきました。

 そうして、自分の中の認めたくない大きな罪に気付かされました。隠そうとしても、主の前では明らかにされてしまいます。そんな罪深い自分がイエス様を通して赦していただいている事を知り、とても嬉しかったのです。

 ようやく、聖書を本当に自分の事として読むことができるようになりました。

 それから、私の中で大きな変化がありました。

 私はコンプレックスを抱えて、何より自分が嫌いでした。妬みやすく、他者の成功に共感できず、心が汚いと思っていました。だから、人に心の中に踏み込まれるのが怖くて、友達にすらいつも距離を置きいい子(人)の仮面をかぶっていました。そして、私はいつも他人の顔色ばかりをうかがい、そして他人との比較の中で生きてきました。でも、心の内を見られる神様の前では無意味です。神様は私の「ありのまま」の姿をこそ見ており、他者とは関係なく、「ありのまま」の私を愛してくれているのだとわかりました。


わたしの目には,あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

『イザヤ書』43章4節前半

 この御言葉を心の中で消化できたときに、本当の神様の愛を受け入れることができました。神様が愛して下さる私という存在を、自分自身で受け入れることができるようになりました。そして、ある夏の深夜に、突然目がさめ、祈りに導かれ、心からの感謝の祈りを捧げました。

 そして、次の日に、牧師の前で信仰を告白し、その年2000年12月17日に髙橋悟兄弟と一緒に洗礼を受けました。

 ここで終われば、ハッピーエンド、救われて良かったね、という証しなのですが、クリスチャンになるということは、そこがゴールではなく、そこからがスタートなのです。主を信じていれば、全て助けてもらえて何の問題もなく、ハッピーに過ごせるかというと、そんなことはありません。

 洗礼後、翌年には結婚、そして、更に翌年に、より人に仕える仕事を志し、現在の介護職に転職しました。しかし、その頃より、母教会内のトラブルにより、妻が教会に行けなくなり、自分も仕事と家庭の大きな激変の中で、心もバランスを失い、教会で暴走し、半ば自滅するように、教会から離れてしまいました。

 そこから、安住の教会を求めて、二人で市内の教会を転々としたり、または異端に近いような教会で礼拝を過ごしたり、どこの教会にも行けず、うろうろしたあげく、川辺で二人だけで礼拝をしたこともありました。

 1年以上もさまよい、もう市内の行けそうな教会をほぼ行きつくし、教会を離れた時は「必ず二人で行ける教会を探す」と強気だった自分も、絶望しかけたときに、主は、憐れな迷子の羊のような私たちに、復帰の道を備えてくださいました。

 2004年7月、開所して2か月目の盛岡みなみ教会に奇跡的に導かれました。この時のこの教会は、当然ながら礼拝レギュラーメンバーは大塚先生夫妻以外では2、3人という状態で、教会として共に礼拝できる人を祈り求めていたことでしょう。一方で、私にとっては、既に教会の骨格ができているところより、形成中ということで入り込みやすかったことも幸いしました。双方にとって恵みとなる出会いでした。

 礼拝に行くだけでもやっとの状態で、ボロボロになっていた二人の信仰を、少しずつリハビリして、2007年3月転入会をすることができました。


神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

『ローマ人への手紙』8章28節

 主は、ひどい失敗した私にも、格別の憐れみと忍耐をもって、またやり直しの機会を与えて下さいました。母教会への導き、試練と神様との戦い、洗礼と母教会を離れての放浪、盛岡みなみ教会への招き、いろいろなことがありましたが、すべての事を益として下さる主の計画の確かさを感じずにはおられません。

 主は、私たちがさらに主の元に近づけるように、成長するように、導いておられ、必要であれば試練も与えられます。しかし、それでも私たちが耐えられないような試練はお与えにはなりません。


神は真実な方です。あなたがたを、耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

『コリント人への手紙 第一』10章13節後半

 神様に心からの感謝を捧げ、証しとさせていただきます。