聖書の説教

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秋山善久師「キリストがあなたに願うこと」(Ⅰテサロニケ5:12-18)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第7回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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ローマ8:28「すべてのことが益となる」(平舘学兄)

・・・・・・今日は、宣愛先生、まなか先生が不在で、ピンチヒッターを努めさせて頂くことになりました。残念に思われている方がほとんどだと思いますが、温かい目で、私と神様との出会いについて、そして盛岡みなみ教会への招きについての証を聴いて頂けたらと思います。こんな例もあるんだなと、皆さんの参考になれば幸いです・・・・・・

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マルコ10:17-27「あなたに欠けていること」(宣愛師)

・・・・・・この青年に「欠けていること」とは何でしょうか。私たちはこのみことばを読むと、「この青年に欠けていたこととは、財産のすべてを売り払っていなかったことだ」と思うかもしれません。たくさんの財産を持っていること、そしてそれを売り払わないことが、この青年に「欠けていること」なのだ、と思うかもしれません。だから、すべてを売り払うことが必要だったのだ、と。たしかにそれも重要なことです。しかし、そこがポイントではないんです・・・・・・

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マルコ10:1-12「創造のはじめから」(宣愛師)

・・・・・・私たちクリスチャンは、「聖書は神様のみことばだ」と信じていますから、聖書に書かれている戒めや教えに従おうとします。「これが神様の御心だ」と信じて、聖書に書かれていることをそのまま実行しようとします。しかし、実は聖書の中には、そのまま従うだけでは不十分な、“妥協した戒め”というのもあるわけです。人間たちがあまりにも自分勝手なので、せめてこれ以上状況が悪くならないようにと、神様が仕方なく命じた命令というものがあるわけです・・・・・・

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ヨハネ3:22-30「私は衰えなければ」(まなか師)

・・・・・・「衰え」は、どちらかと言うと、私たちにとってネガティブなものです。できれば衰えたくないと願います。「衰え」ないために、日常的に運動をしよう、頭のトレーニングをしよう、身体によいものを食べよう。世の中にはそういう言葉があふれています。そうやって、私たちは「衰え」に逆らおうとします。でも、聖書がここで語っている「衰え」とは、私たちが逆らうべきものなのか。逆らうべきでないとしても、仕方なく受け入れるしかないものなのか。「衰え」ることを甘んじて受け入れなさい、と聖書は言っているのだろうか・・・・・・

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マルコ9:42-50「小さい者を守る地獄」(宣愛師)

・・・・・・もちろん私は、“地獄”の存在そのものを否定しているわけではありませんし、「すべての人が天国に行ける」という楽観的なことも考えていません。“地獄”は存在しますし、聖書にもそのように書いてあります。今日の聖書箇所でも、イエス様ははっきりと“地獄のさばき”についてお語りになっています。しかし大切なのは、“聖書は何のために地獄を語っているのか?”ということです。“イエス様は何のために地獄をお語りになったのか?”ということです。このことを理解するなら、キリスト教が教えていることは、「統一教会と同じ」ではなくなるはずです・・・・・・

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マルコ9:38-41「水を飲ませてくれる人」(宣愛師)

・・・・・・私たちはもしかすると、この世界には「イエス様を信じる人」と「イエス様を信じない人」の二種類しかいないと思いがちかもしれません。そして、「信じる人たちは私たちの仲間だけど、信じない人たちは仲間ではない」と言って"線"を引いてしまったり、さらには、「信じる人は天国行きだけれども、信じない人たちは地獄行き」などと、簡単に決めつけてしまうかもしれません。しかし、本当はこの世界には、「信じる」でも「信じない」でもない、もっと曖昧な人々がいるわけです・・・・・・

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マルコ9:30-37「だれが一番偉いか」(宣愛師)

・・・・・・宣教師や牧師でさえも、「だれが一番偉いか」という議論に囚われてしまうものです。「どれだけ多くの人に洗礼を授けたか」「どれだけ立派な礼拝堂を建てたか」「どれだけ大人数の教会を作り上げたか」「あの牧師はどうだ、あの教会はどうだ」と比べてしまう。優越感に浸ったり、嫉妬をしたりする。自分よりも優秀な牧師について“あら探し”をしてみれば、その逆に、なかなか上手く行かない自分の働きについては、色々な言い訳を並べ立てて納得してみたりする。だれが一番偉いか。こういう価値観の中では、私たちは幸せになれません。しかし、幸せになれないと分かっていても、抜け出すこともできない・・・・・・

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ヨハネ3:16-21「ひとり子をお与えになったほどに」(まなか師)

・・・・・・「人が足りません。もっと兵士を送るよう、各国に働きかけてください」。けれどもアメリカはこう答えたそうです。「ルワンダに軍隊を送ってもアメリカの利益にはならない。アメリカの国民に対して、国益とは程遠いルワンダのために、『あなたたちの息子の命を差し出してください』とはとても言えない。」……愛する息子を、「世」に送る。それは父なる神様にとって苦渋の決断でした・・・・・・

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マルコ9:14-29「祈りの中にいなければ」(宣愛師)

・・・・・・ある牧師の話を思い出します。少し汚い話ですけれども、その牧師がこんな風に言うんです。「私は、トイレに行く度に、神様に感謝するんです。おしっこをする度に、うんちをする度に、神様に感謝の祈りを献げるんです。『神様、今日もおしっこができて感謝します。うんちができて感謝します』と祈るんです。」初めて聴いたときは、「なんだか変なことを言う人だなあ」と思いましたけれど、でも今では、「祈りの中にいる」というのは、そういうことなんだなと納得するんです・・・・・・

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