聖書の説教

聖書の説教
秋山善久師「聖餐と契約」(マタイ26:26-29)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第11回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後は「母の日 感謝の時」でした。

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マルコ13:9-13「最後まで耐え忍ぶ人」(宣愛師)

・・・・・・イエス様は、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます」と言いました。そして実際に、イエス様を信じる人々は、狭いエルサレムの中でも、広いローマ帝国の中でも、あらゆる社会から憎まれ、迫害を受けました。中には殺される人もいました。なぜ憎まれるのでしょうか? イエス様の教えに従う人々はなぜ、社会から憎まれてしまうのでしょうか?……キリスト教が社会から憎まれる最大の理由。それは、キリスト教が“差別の壁”を壊そうとするからです・・・・・・

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マルコ13:3-8「産みの苦しみの始まり」(宣愛師)

・・・・・・今日の説教でも、キリスト教に対する一つの批判を取り扱いたいと思っています。その批判というのは、「聖書には『世の終わりが来る』と書いてあるのに、世の終わりなんて来ないじゃないか」というものです。「世の終わりなんて来ないじゃないか!聖書には『世の終わりにキリストが再び来て、この世界を裁く』と書いてあるのに、聖書が書かれてから二千年近く経った今でも、世の終わりなんて全然来ないじゃないか!聖書もキリストも嘘つきじゃないか!」と。この批判に答えるためには、そもそも「世の終わり」とは何なのか、聖書には何と書かれているのか、ということを確認する必要があります・・・・・・

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ヨハネ4:27-30「来て、見てください」(まなか師)

・・・・・・教会で伝道師として働いていると、様々な方の悩みをお聞きする機会があります。皆さんも、牧師や伝道師でなくても、お友だちやお知り合いの悩みを聞くことがあると思います。「こんな大変なことがあったんです」「こんなひどい人がいたんです」というお話を聞いたりもします。そんなことがあったんですね、本当にお辛かったですね、と心から思います。できる限り、その方の思いに寄り添いたいと思わされます。ただ、多くの人は、「あの人が私にしたこと」「あの人のせいで私の人生に起こったこと」については話しても、「私がしたこと」についてはあまり話しません・・・・・・

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マルコ13:1-2「崩れ去る神殿」(宣愛師)

・・・・・・私たちはどうしても、崩れないもののほうが良いと思い込んでしまうでしょう。崩れないものを積み上げて、人生を確かなものにしていこう、と考えるものです。「人生のキャリアを積み上げる」という表現が使われることもあります。「お金をこつこつ積み立てましょう」と言われることもあるでしょう。勉強も、「こつこつ積み上げていかないとすぐに他の人に置いていかれる」などと言われて、私たちは焦ってしまうものです。……しかし神様は、「崩れたっていいじゃないか」と仰るんです。「崩れないようなものを作らなくていいじゃないか」と仰るんです・・・・・・

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エペソ2:8-10「この恵みのゆえに」(宣愛師)

・・・・・・ある教会で行われた集会に、クリスチャンではない友人と一緒に参加した時のことです。賛美歌を歌ったり、聖書のメッセージを聞いたり、メッセージに関する感想を分かち合ったりする集会でしたが、気づいたらその友人が集会を抜けて、後ろの方にひとり座って泣いてしまいました。どうしたのかと話を聞くと、「クリスチャンの中にいるのが辛くなった」と言うんです。「教会も結局はキラキラした人たちの集まりなんだと思って、そこにいるのが辛くなった」と・・・・・・

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ヨハネ20:19「フラットランドを超えて」(宣愛師)

・・・・・・突然現れたかと思えば、突然見えなくなる。「いつもあなたがたとともにいます」と言ってくださったかと思えば、天に昇って行ってしまう。……復活したイエス様はなぜ、こんなにもやりたい放題で、自由奔放なのでしょうか。そしてなぜ、イエス様のやりたい放題が、私たちには全く理解できないのでしょうか。このことを理解するためには、私たちが生きている次元と、復活したイエス様が生きておられる次元の違いについて、考えてみる必要があります・・・・・・

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吉持尽主師「イエスを見る」(マルコ8:10-21)

※本日の日曜礼拝では、山形恵みキリスト教会の吉持尽主(よしもちつくす)先生が、録画を通してご奉仕くださいました。

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マルコ12:35-44「やもめを見ている神」(宣愛師)

・・・・・・「あなたはいくらの献金を、何のために捧げるのか。」「レプタ二枚を、神様への感謝のために」と、彼女は答える。周りの金持ちたちの献金によって、ラッパが大きな音を響かせる中で、「レプタ二枚」と答えることは、恥ずかしいことだったでしょう。惨めだったでしょう。祭司たちも心の中で「たったの125円か。それが何の役に立つのだ。何の足しにもならない」と馬鹿にしたかもしれません。……しかし、私たちが注目すべきことは、たった二枚のレプタしか献げられないとしても、それでもこのやもめが、礼拝をするために神殿に来た、ということだと思います・・・・・・

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秋山善久師「神のことばの実現」(マタイ24:32-44)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第10回)でした。主任牧師の秋山善久先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。また、礼拝後には役員就任式を行いました。

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