聖書の説教

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マタイ22:23-33「生きている者の神」

・・・・・・“墓前礼拝”というのは、「お墓の前で礼拝する」と書きますが、もちろん「お墓を礼拝する」ということではありませんし、「お墓の中で眠っている方々を礼拝する」ということでもありません。普通の日本人の感覚では、“亡くなった方々を礼拝する”ということもあるわけですが、私たちクリスチャンが礼拝するのは神様だけです。でもそうなると、「じゃあ、なんでわざわざお墓の前で神様を礼拝をするの?」と思う方もいるかもしれません・・・・・・

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マルコ4:1-20「イエスの"謎"に喰らいつく」

・・・・・・「たとえ」という単語は、ギリシャ語ではたしかに「たとえ」という意味しかないので、日本語の聖書では「たとえ」と訳しています。ただ、イエス様が話していたヘブル語やアラム語では、「たとえ」という言葉には、“謎”とか“なぞなぞ”という意味も含まれているんです・・・・・・

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マルコ3:31-35「イエスは家に帰らない」

・・・・・・統一教会のことが話題になってから、「宗教は家族を壊す」というイメージが広がっています。「宗教は大切な家族を壊す」とか、「宗教は大切な家族を奪う」というイメージが広がってしまっています。……少なくとも今日の聖書箇所を読むと、「キリスト教は家族を壊す」と言われても仕方がないような気がしてしまいます・・・・・・

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ゲルソープ・マーク師「人間を恐れず、天の神様を恐れる」(ルカ12:1-12)

(※本日は花巻めぐみキリスト教会との"講壇交換"のため、ゲルソープ・マーク先生が盛岡みなみ教会でご奉仕くださいました。佐藤宣愛師は花巻めぐみキリスト教会に伺ってご奉仕しました。)

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マルコ3:20-30「イエスはおかしくなった」

・・・・・・いや、もしかすると私たちは、もうすでに「おかしくなった」と思われているのかもしれません。「どうしてあの人たちは、せっかくの日曜日の休日に、教会なんかに集まっているんだ?」とか、「どうしてあの人たちは、せっかく働いて稼いだ給料を、献金なんて言って献げてしまうんだ?」と、不思議に思われているかもしれません・・・・・・

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マルコ3:13-19「彼らをご自分のそばに」

・・・・・・その先輩牧師はこんな質問をしました。「イエス様が十二人の弟子たちを選んだのは、何のためだったと書いてありますか?」そこで私は、「宣教をさせることと、悪霊を追い出させることです」と答えようとしたんですが、私よりも先に別の人が、「ご自分のそばに置くためです」と答えまして、「あっ」と思いました・・・・・・

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マルコ3:7-12「イエスが行っておられること」

・・・・・・「イエスが行っておられること」とは何でしょうか? 病気を治したり、悪霊を追い出したりすることでしょうか? もちろんそれもそうでしょう。しかし、「汚れた人々」にとっては、〈イエスという人が本当に病気を治せるかどうか〉も重要なことでしたが、そもそもの問題として、〈イエスという人が汚れた自分たちを受け容れてくれるかどうか〉が重要だったわけです・・・・・・

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秋山善久師「キリストにある交わり」(Ⅰコリント10:15-18)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第2回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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マルコ3:1-6「彼らは黙っていた」

・・・・・・イエス様の問いかけはシンプルでした。「安息日に律法にかなうのは、神の御心にかなうのは、善を行うことか、悪を行うことか? たましいを救うことか、見殺しにすることか?」小さな子どもでも、すぐに答えの分かる質問です。パリサイ人たちだって、正しい答えは分かったはずです。しかし、「彼らは黙っていた。」これが、パリサイ人たちの罪でした・・・・・・

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マルコ2:23-28「安息させる権威」

・・・・・・「安息日」は土曜日なのか、それとも日曜日に変わったのか……? もちろん、大切な議論ではあると思います。でも、それよりも大切なのは、「そもそも安息日は何のために造られたのか?」ということです。……申命記5章14節には、「安息日」が何のために造られたのかがはっきりと書かれています・・・・・・

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