マルコの福音書

礼拝メッセージ
マルコ8:22-34「はっきりと見えるように」新着!!

・・・・・・私たちは、“イエス様がどれだけ楽しませてくださったか”だけでなく、“イエス様のためにどれだけ苦しむことができたか”ということも、恵みの一部として思い出しても良いと思います。盛岡みなみ教会のこの19年間の歩みも、楽しいことばかりではなかったはずです。色々な苦しみがあったはずです。しかし、それが「キリストのために苦しむこと」であったならば、それは私たちの恵みでもある・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ8:11-21「まだ証拠が足りないのか」

・・・・・・なので、洗礼を受けた後も私は、「ああ、自分も他のクリスチャンみたいに、もっとはっきりとしたきっかけがあれば、今よりも強くてしっかりとした信仰になるかもしれないのになあ」とか思ったりしたんですね。これは今でも思います。なんだか自分の信仰は生ぬるい気がして、もっと良いきっかけがあれば、なんて思ったりするんです・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ8:1-10「分からず屋の弟子たち」

・・・・・・「あれ、似たような話、前にも読んだことあるかも?」というのは、今日の聖書箇所に限ったことではないかもしれません。聖書の中には、似たような話とか、同じような言葉がよく繰り返されます。「恐れてはならない」とか「安心しなさい」という御言葉は、聖書の中に百回以上出てきます。どうして神様は、そんなに何度も同じことを言われるのか・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ7:31-37「口止めされればされるほど」

・・・・・・新しい時代の始まりは、イエス様にとって必ずしも楽しいことばかりではありませんでした。なぜなら、“古い時代”の人々との戦いがいよいよ激しくなるからです。ガリレオが「地動説」を主張した時、“古い人々”はそれを揉み消そうとしました。新しい時代が始まろうとすれば、必ずそれを拒否する人々がいます。“古い時代”と“新しい時代”の戦いが始まる。その重大な瞬間に際して、イエス様は深くため息をついた・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ7:24-30「食卓の下の小犬」

・・・・・・今の時代は、権利を主張する時代です。「私たちにはこういうことをする権利がある!」とか、「私たちにはこれこれのサービスを受ける権利がある!」というような主張が至るところで繰り広げられている時代です。もちろん、そうやって権利を主張することは必要なことです。……ただ、もしかすると私たちは、そういう「権利」というものに慣れてしまって、「人権」という考え方に慣れてしまって、神様に対しても同じようなことを主張してしまいがちかもしれません・・・・・・

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礼拝メッセージ
朝岡勝師「神のことばは滅びない」(マルコ13:28-31)

(※佐藤伝道師の結婚式で司式をしてくださった朝岡勝(あさおかまさる)先生が、翌日の日曜礼拝でもご奉仕くださいました。)

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礼拝メッセージ
マルコ7:1-23「人間の言い伝え」

・・・・・・モーガン・スコット・ペックというアメリカの有名な精神科医が、『平気でうそをつく人たち』というベストセラーを書いています。この本の中でペック博士が論じているのは、「“邪悪な人間”とはどういう人間か」ということです。みなさんはどう思いますか? “邪悪な人間”というのは、どのような特徴を持っていると思いますか? ペック博士は次のように指摘します・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ6:45-56「パンのことを理解せず」

・・・・・・すると、その教会の主任牧師が言いました。「ゆっくりとこちらにやって来るあの老婦人がお分かりでしょう。彼女はこの教会でもっとも重要な会員です。大変裕福な女性で、教会の働きの最大の支持者です。」……そこでロイドジョンズ牧師は、その婦人に挨拶をしました。するとその婦人はこう言ったそうです。「夜の礼拝では、クリスチャンではない人向けの説教をされるんですね。それでは、私は夜に来ます。」・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ6:30-44「パンはいくつありますか」

・・・・・・「彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので」とあります。羊飼いのいない羊の群れ。凶暴な狼が襲ってくるのに、守ってくれる羊飼いがいない。お腹が空いてペコペコなのに、青草がある場所に連れて行ってくれる羊飼いがいない。自分たちが進むべき道も、帰るべき場所も、羊飼いがいなければわからない。路頭に迷ってしまって、「イエス様、私たちはどうやって生きていけばいいんですか」と、必死に求める・・・・・・

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礼拝メッセージ
マルコ6:14-29「ヨハネが備えた道」

・・・・・・私たちはこのヨハネの人生を、どのように評価すべきでしょうか? 三通りの可能性があると思います。第一の可能性は、〈ヨハネはイエス様の道を備えることができず、無残に殺されてしまった。〉第二の可能性は、〈ヨハネはイエス様の道を備えることができたが、最後は殺されてしまった。〉そして第三の可能性は、〈ヨハネはイエス様の道を備えることができ、最後に殺されることによって、その道を完全に備えた。〉・・・・・・

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