マルコ1:1「あなたの神は王であられる」

2022年5月1日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マルコの福音書』1章1節


1:1 神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。



あなたの王は誰?

 先日、ある一つのニュースが話題になりました。〈ウクライナ政府がTwitterに載せた動画が、日本人を怒らせた〉というニュースでした。その動画自体は、ロシアのプーチン大統領を批判する動画なんですが、その動画の中で、ドイツのヒトラーと、イタリアのムッソリーニと、日本の昭和天皇の顔が並べられる、そういうシーンがあったんです。

 つまり、その動画が伝えようとしていたのは、こういうことです。〈ヒトラーもムッソリーニも昭和天皇も、プーチンと同じような独裁者だったが、第二次世界大戦ではみんな揃って敗北した。だから、プーチンもいつか必ず敗北する。〉

 この動画を見て、多くの日本人が怒りました。「日本の昭和天皇を、ヒトラーと並べるだって? バカにするな!」ということです。もちろん、日本政府も怒ってウクライナ政府に抗議したので、ウクライナ政府はすぐにその動画を削除して、日本政府に対して謝罪しました。

 しかし、この動画を見た日本人の中には、そんなに怒らなかった人たちもいたようです。実は私もその一人でした。たしかに、ドイツ軍を直接的に指揮していたヒトラーとは違って、昭和天皇は直接的な指導者ではなかったので、「ヒトラーと一緒にするな!」と怒りたくなる人たちの気持ちはわかります。ただ、ヒトラーと同じではないとは言え、国家元首だった天皇に責任がないはずはありませんし、日本とドイツとイタリアが「日独伊三国同盟」を結んでいたことも事実ですから、一緒に並べられても仕方ないのでは、とも思いました。

 また、「この動画を見て私が怒る気にならなかった理由は、他にもあるかもしれない」と思い、いろいろ考えてみました。そこでたどり着いた一つの結論は、「ああ、自分には、昭和天皇よりも大切な方がいるからだ」ということでした。

 あの動画を見て怒った人の中で、多くの人はおそらく、昭和天皇を尊敬し、大切にしている人たちでしょう。Twitterやニュースの反応を見ている限り、そういう人が多いように思いました。たしかに、天皇を大切にしている人たちからすれば、愛する天皇が悪者扱いされたというのは、納得の行かないことだったのでしょう。

 しかし私には、天皇よりも尊敬している方がいる、そう思ったんです。この世界の誰よりも尊敬し、大切にしている方がいるのです。ですから、今回問題となったあの動画についても、日本の過去の戦争責任についても、ある程度は冷静な判断ができているのだと思いました。

 つまり、ここで大事なのは、「あなたの王は誰か?」ということだと思うのです。「あなたが尊敬し、何よりも大切にし、この人には従うと心に決めている王は誰なのか?」ということです。それはプーチンなのか、ヒトラーなのか、天皇なのか、もしくは他の誰かなのか。「あなたの王は誰なのか?」「あなたが心から尊敬し、何よりも大切にしている存在は何なのか?」


「福音」 とは何か?

 マルコの福音書1章1節を、もう一度お読みします。


1:1 神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。

 「福音」とは何でしょうか? 「福音」という言葉を聞くと、私たちは「十字架による罪の赦し」とか、「信仰による義認」とか、そういうことを想像するかもしれません。もちろんそれも間違いではありません。しかし、「福音」という言葉は、もともとはそういう意味ではなかったんです。

 ご存じの方も多いかもしれませんが、「福音」という言葉はもともと、〈王様の勝利の知らせ〉とか、〈王様の即位の知らせ〉を意味する言葉でした。「我々の王が戦争に勝利した!」とか、「◯◯が新しく王様になった!」とか、そういうニュースのことを「福音」と呼んでいたのです。

 この「福音」という言葉は、旧約聖書にも登場します。イザヤ書の52章7節をお読みします。


52:7 良い知らせを伝える人の足は、
山々の上にあって、なんと美しいことか。
平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
救いを告げ知らせ、
「あなたの神は王であられる」と
シオンに言う人の足は。 

 ここで「良い知らせ」と訳されている言葉が、「福音」と同じ言葉です。つまり「福音」というのは、「あなたの神は王であられる」という「良い知らせ」のことなのです。「あなたの神は王であられる」「あなたの神が王となってくださる」。

 イザヤ書が書かれた頃、イスラエルの人々は、いろいろな国に支配されていました。最初はアッシリアという国の奴隷となり、次はバビロンという国の奴隷となり、やがてはローマという国の奴隷となりました。アッシリア帝国の王、バビロン帝国の王、そしてローマ帝国の王が、イスラエルの人々を支配していたのです。

 そのような時代に語られたのが、「良い知らせ」「福音」でした。暴力的な王たちに支配され、奴隷のような惨めな人生を歩んでいた人々に対して、「もう大丈夫。あなたの神は王であられる。あなたの神が王となられた。あなたの神はあなたを助けに来られた。だからもう大丈夫だ」と。これが「福音」だったのです。そしてマルコは、この「福音」を伝えるために、この王様のことを伝えるために、「神の子、イエス・キリストの福音」を書き残したのです。


偽りの「王」たち

 「あなたの王は誰か?」みなさんは何と答えるでしょうか。「あなたの王は誰か?」言い換えれば、「あなたを支配しているものは何か?」私たちは意外と、色々なものに支配されています。

 たとえば、職場の上司からのプレッシャーに苦しめられることもあるでしょう。権力や立場を悪用して、自分の思い通りに事を進めようとする、そういう人は少なくありません。もちろん、私たち自身がそのように、他の人を苦しめてしまうこともあるでしょう。自分自身が王様であるかのように勘違いして、他の人を支配しようとしてしまう、そういうこともあるでしょう。

 また、家族や友達からのプレッシャーに苦しむ人もいるかもしれません。もちろん、家族や友達というものは、愛し合うための関係なのですが、ときにはそれが間違った方向に進んでしまうこともあるものです。もしもあなたが、家族や友達からの愛を強く求めるあまりに、「あの人に愛してもらえなければ、自分には価値が無い」とか、「あの人に認めてもらえなければ、自分には生きる意味なんてない」と思ってしまうなら、あなたはもはや、その人の奴隷なのです。もちろん、家族や友達に愛を求めることは間違いではないでしょう。しかし、完全ではない人間に対して、完全な愛を求めてしまうなら、求めるほうも、求められるほうも、いつかは疲れてしまうのです。

 また、私たちを支配するのは、人間だけではないかもしれません。たとえば、お金という王様に支配されてしまう人もいるでしょう。もしも誰かが、「お金があれば自分の人生は安心だ」とか、「お金がなければ人生は終わりだ」と考えているとすれば、その人の王様はお金なのです。

 他にも、「偉くなりたい」とか、「有名になりたい」という思いに支配されてしまう人もいます。権力や立場が王様になってしまうのです。また、「賢いと思われたい」とか、「美しくなりたい」とか、「誰かに認められたい」という思いに支配され、苦しみ続ける人もいます。賢さや美意識や承認欲求が、その人の人生を支配する王様になってしまうのです。もしくは、「自分はこれからどうなってしまうんだろう」という不安に支配されて、人生を投げ捨ててしまう人もいます。

 そうです。私たち人間はいつだって、何かに支配されているものなのです。いろんな王様たちに支配されてしまうものなのです。ときには権力者に支配され、ときには家族や友達などの人間関係に支配され、ときには自分の欲望や不安や罪に支配されて、毎日を何とか生き延びているのです。いろんな王様の支配の中で、傷ついたり、苦しんだり、怖がったり、疲れたりしているのです。

 だからこそ、私たちには「福音」が必要なのではないでしょうか。お金や権力は、本当の王様ではない。欲望や不安も、本当の王様ではない。家族や友達も、どんな権力者たちも、私たちの本当の王ではない。神こそが王であられる。イエス・キリストこそが、唯一の王であられる。

 「神の子、イエス・キリストの福音」。マルコが語ろうとしているのは、まさにこの「福音」なのです。「あなたの王は誰か?」「あなたを偽物の王たちから救い出してくださるのは誰か?」「あなたに本当の安心を与えてくださるのは誰か?」「あなたを誰よりも愛し、人間には与えられないほどの完全な愛で愛し抜いてくださるのは誰か?」

 マルコがこれから語ろうとしているのは、これらの全ての問いに答えを与えてくださるお方の「福音」です。そしてこのお方は、この世界のどんな権力者にも並べることができないほど魅力的で、誰よりも正しく、誰よりも美しく、誰よりも不思議な王様なのです。そして何よりもこのお方は、このイエスというお方は、あなたを心から愛するあまりに、十字架への道を歩んでくださった、偉大な愛の神なのです。祈りましょう。


祈り

 父なる神様。私たちは色々な「王様」たちに支配され、傷ついたり、疲れたりしてしまう、弱い存在です。また時には、自分自身が王様であるかのように勘違いして、他の人々を支配しようとしてしまうことさえある、愚かな罪人です。しかし、「あなたの神は王であられる」「あなたの神こそが、王であられる」。この「福音」が、この「良い知らせ」が、私たちの救いであり、慰めです。どうか、唯一の王であるイエス様の姿を、イエス様の教えを、イエス様の生き様を、この福音書を通して、しっかりと心に刻ませてください。神の子の御名によって、お祈りします。アーメン。