マルコ10:32-34「先立つイエス」(宣愛師)

2023年10月1日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
新約聖書『マルコの福音書』10章32-34節


32 さて、一行はエルサレムに上る途上にあった。イエスは弟子たちの先に立って行かれた。弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二人をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを話し始められた。
33「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。
34 異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」



宗教的権力の堕落:「祭司長たちや律法学者たち」

 本日の聖書箇所は、次のような言葉で始まります。「さて、一行はエルサレムに上る途上にあった。イエスは弟子たちの先に立って行かれた。」私たちがこれまで、マルコの福音書を読み進める中で見てきたイエス様というのは、どちらかと言えば、人々の必要に応じて旅をしておられた、そんな印象だったかもしれません。もちろん、イエス様が「さあ、別の町に行こう」と言われたように、イエス様が旅のリーダーであることは間違いありませんけれど、それでもやはり、助けを必要とする人々がいて、その必要にイエス様が応える、という場面が多かったように思います。

 しかし、いよいよエルサレムに向かう、そのイエス様の姿は、だれに頼まれたわけでもなく、ただご自分の意志で、「先に立って行かれた。」だれかに助けを求められたわけではありません。「イエス様、エルサレムに助けに来てください」と言われたわけではない。では、イエス様は何のためにエルサレムに向かわれたのか。

 先頭に立って進まれるイエス様を見て、「弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた」とあります。なぜ彼らは恐れたのでしょうか。それは、エルサレムという場所が、イエス様の敵対者たちの本拠地だったからです。堕落した権力者たちの本拠地だったからです。イエス様を殺そうとするような人々が、エルサレムを支配していた。弟子たちが、「あんな危険な場所に行かないでください」と引き止めるくらいに、イエス様にとってエルサレムは危険な場所でした。

 それでもイエス様は立ち上がって、エルサレムに向かいます。たとえ引き止められたとしても、ついて来る人々を恐れさせてしまったとしても、イエス様は先立って行かれる。闘わなければならない敵がいたからです。堕落したエルサレムの権力者たち、その大きな罪の力と、真っ向から闘わなければならなかった。「悔い改めなさい」と叫ばなければならなかった。

 「祭司長たちや律法学者たち」と書かれているのが、このエルサレムの権力者たちのことです。ユダヤにおいて、“宗教的な権力”と“政治的な権力”の両方を握っていた人々です。「祭司長」というのは、エルサレムの神殿の指導者ですから、神様を礼拝するための儀式や、神様に罪を赦されるための儀式を司る人たちです。祭司たちを怒らせてしまったら、神様に罪を赦していただけなくなる。神殿で礼拝させてもらえなくなる。だからユダヤ人たちは宗教的な権力を恐れました。

 さらに、「祭司長たちや律法学者たち」は、自分たちの宗教的な権力を使って、政治的な権力も手にしました。彼らは「神様にお金や食べ物を献げなさい」と言って、たくさんの税金を徴収し、実際には神様ではなく自分たちの懐に入れ、多くの財産を手に入れていたんです。あまりに重い税金が支払えなくなった人々は、自分たちの土地を祭司長たちに売るしかありません。結局、当時のユダヤ地方のほとんどの土地は、祭司長たちやその仲間たちの持ち物となっていました。

 権力を握っているとは言っても、当時のユダヤ地方はローマ帝国に支配されていましたから、たとえ「祭司長たちや律法学者たち」であったとしても、だれかを死刑で殺してしまうことは許されていませんでした。「祭司長たちや律法学者たち」は、死刑に「定め」ることまではできましたが、死刑を「執行する」ことはできませんでした。死刑を執行することができたのは、ローマ帝国の総督であるポンテオ・ピラトだけです。だから、「彼らは人の子を死刑に定め」という言葉の後に、「異邦人に引き渡します」とあるわけです。しかし、実質的にイエス様を殺したのが、エルサレムの「祭司長たちや律法学者たち」であったことは間違いありません。さらに言えばこのことは、エルサレムの権力者たちとローマ帝国の支配者たちが、ある面では協力関係にあったことを示しています。祭司長たちは、ローマの軍事力に守られながら、自分たちの利得を貪っていたんです。

 旧約聖書には次のような戒めが書かれています。民数記18章20節と、少し飛んで23節をお読みします。


18:20 主はまた〔大祭司〕アロンに言われた。「あなたは彼ら〔イスラエル〕の地で相続地を持ってはならない。彼らのうちに何の割り当て地も所有してはならない。イスラエルの子らの中にあって、わたしがあなたへの割り当てであり、あなたへのゆずりである。
……23 会見の天幕の奉仕をするのはレビ人〔祭司の一族〕であり、レビ人が彼ら〔イスラエル〕の咎を負う。これは代々にわたる永遠の掟である。彼ら〔レビ人〕はイスラエルの子らの中にあって相続地を受け継いではならない。

 旧約聖書には、祭司は土地を持ってはいけない、という決まりがあったんです。宗教的な権力を悪用すれば、すぐに金儲けができてしまうからです。神様は、宗教的な権力が暴走して財産を独り占めしないようにと、制限をかけておられました。しかし、イエス様の時代には、大祭司は堕落し、祭司長たちも好き勝手なことをし、貧しい人々を税金によって苦しめ続けていた。

 そんな祭司長たちをサポートしていたのが、「律法学者たち」です。本当なら律法学者たちは、祭司長たちの暴走を止めるべき存在です。「聖書には、祭司は土地を持ってはいけないと書かれているぞ」と言って、祭司長たちを批判することが律法学者たちの役割なんです。ところが、彼らはその役割を放棄するにとどまらず、自らも祭司長たちの仲間になって、金儲けをしていた。

 もちろん、全ての祭司が悪者だったわけではありませんし、全ての律法学者が悪者だったわけでもありません。しかし多くの権力者たちは、貧しい人々を虐げて搾取していたんです。エルサレムの神殿はもはや、貧しい人々を苦しめる「強盗の巣」となってしまっていました。


立ち上がった人々:「熱心党」「エッセネ派」「預言者」

 ところで、「祭司長たちや律法学者たち」に立ち向かった、勇敢な人々もいました。宗教的な権力を悪用する権力者たちに対して、おまえたちのやっていることは間違っている、と言って立ち向かう人々がいたんです。三種類のグループがいたと考えて良いと思います。

 一つ目のグループは、「熱心党」と呼ばれる人たちです。熱心党というのは、今の時代で言うテロリストのような人々で、暴力や軍事力によって権力者たちを打ち倒し、国家転覆を狙っていた人たちです。熱心党は実際に、エルサレムの権力者たちを暗殺したり、ローマ帝国に対して反乱戦争を仕掛けたりします。しかし、ローマとの戦争に敗北して、やがて消え去っていきます。

 二つ目のグループは、「エッセネ派」と呼ばれる人々です。エッセネ派の人々は、権力者たちと直接的に闘うことはせず、むしろエルサレムから遠く離れた荒野の洞窟で、いわゆる隠遁生活をしていました。エッセネ派の人々は、次のように信じていました。「今のエルサレムは堕落してしまった。しかし、私たちエッセネ派こそが、新しいエルサレムとなるのだ。私たちが律法を正しく守っていれば、いつの日か神様は、堕落した権力者たちを滅ぼし、私たちを新しいエルサレムとしてくださるだろう。」このような信仰を持っていたエッセネ派の人々もまた、ローマ帝国の力に勝つことができず、時代の流れの中で消え去っていきました。

 熱心党でもなく、エッセネ派でもない、第三のグループ。それは、「預言者」と呼ばれる人々です。預言者たちは、熱心党のように暴力によって闘うのではありませんし、エッセネ派のように荒野に引きこもってしまうのでもありません。預言者たちは、ことばの力によって、神のみことばによって、権力者に立ち向かいます。旧約聖書の預言者たち、エリヤやイザヤ、アモスやエレミヤたちも、神様のみことばを語ることによって闘いました。預言者と呼ばれたバプテスマのヨハネも、そのようにしてヘロデと闘いました。そして、多くの場合、預言者たちも殺されていきました。

 イエス様もまた、預言者の一人でした。イエス様は、熱心党のように暴力を用いたりはしません。むしろ弟子たちに対して、「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」と教えます。また、エッセネ派の人々のように、荒野に引きこもるようなこともしません。イエス様は、自らエルサレムに向かって行かれました。そして、暴力によってではなく、ことばの力によって闘いました。ことばの力によって罪の力と闘い、悔い改めを求めました。

 そのイエス様も、他の預言者たちと同じように、殺されてしまいました。十字架上で息絶えたイエス様を目撃した弟子たちは、絶望したはずです。「ああ、イエス様が殺されてしまった。あの人こそ救い主メシアだと思っていたのに、殺されてしまった。結局はあの人も、預言者たちの一人でしかなかったのか」と。

 ところがその弟子たちが、イエス様が殺されて絶望していたはずの弟子たちが、エルサレムの町のど真ん中で、「十字架にかけて殺されたあのイエスこそ、真の救い主メシアだ」と宣言し始めたのです。なぜでしょうか。なぜ弟子たちは、他の預言者たちと同じように殺されてしまったはずのイエス様を、救い主メシアだと信じたのでしょうか。なぜ弟子たちは、ユダヤ人の権力者たちに敗北し、ローマ帝国の権力に敗北したあのイエスという男を、「神の子、主イエス・キリスト」などと呼ぶようになったのでしょうか。ここにこそ、キリスト教の核心があり、希望があります。


政教分離を巡る闘い:「岩手県議会靖国神社訴訟」

 先週は、東北宣教区のフェローシップ聖会のために仙台に行った後、高速バスに乗って新潟に帰省しました。実家に着くと、母が「この本読んだ?岩手県の話だよ」と言って、一冊の本を渡してくれました。『草の根の叫び:町のヤスクニ闘争の記録』という本で、渡部敬直(わたなべひろなお)という牧師の闘いを記録したものです。

 渡部敬直先生は、私たちも何かとお世話になっています、岩手県の北上聖書バプテスト教会で働いておられました。もともとは政治や靖国神社の問題などには関心は持っておらず、ひたすらキリスト教の伝道活動に励んでおられたそうです。ところが、渡部先生が当時住んでいた地区の会費、町内会費の中から、岩手護国神社に捧げるためのお金が使われているらしいということに疑問を持ち、渡部先生は北上市長と岩手県知事に嘆願書を出します。「北上市」や「岩手県」という政治組織が、「岩手護国神社」という宗教組織と結びついているのは、憲法20条に規定されている政教分離の原則に反しているので改善してほしい、という内容の嘆願書です。今から47年前、1976年のことで、渡部先生はまだ33歳でした。この嘆願書をきっかけとして、渡部先生を会長とする「北上政教分離を守る会」が設立され、十数年に亘る信仰の闘いが始まっていきます。

 それから数年後、今度は岩手県議会において、「天皇と内閣総理大臣による靖国神社公式参拝を求める意見書」が提出されます。またそれと同時に、靖国神社に対して岩手県が「玉串料」というお金を贈っていることも議論になりました。「玉串」とは、神社で神々に捧げる植物の名前です。当然ながら、社会党や共産党などの議員はこの意見書に反対しましたが、自民党や県政クラブなどの多数派によって、賛成多数で決議されてしまいます。

 ご存じの方も多いかもしれませんが、靖国神社というのは、ただの神社ではありません。靖国神社とは、天皇のために戦争で闘って死んだ人たちを神として祀り慰めるための神社です。単なる神々を祀る神社ではなく、戦争と非常に深い関わりがある神社であり、「お国のために死になさい」とか、「天皇のために死ぬことこそ日本国民の幸せだ」という価値観を肯定し得る神社です。

 そのような神社である靖国神社に、天皇や内閣総理大臣が公式に参拝するということは、「もう一度この日本を、昔のように天皇を中心とする国に戻したい」という願いの表れだと言わざるを得ません。天皇の命令は絶対だ。天皇が命じるなら、戦争に行くことだって、死ぬことだって、拒否してはならない。あなたは戦争で死んでも大丈夫。靖国神社で神様として慰めてもらえるから――このような教育が、再び日本に戻ってきてしまうのではないか。

 渡部先生は、靖国神社公式参拝を認めることは憲法違反であるという訴えを、盛岡地方裁判所に提訴します。裁判は長引き、6年に及びました。普通に考えれば、天皇や総理大臣が神社参拝をするなんてことは、明らかな政教分離違反だと思います。ところが、盛岡地裁の裁判長は、天皇や総理大臣が靖国神社に参拝することも憲法違反ではないし、岩手県のお金から玉串料を靖国神社に贈ることも憲法違反ではない、という判決を下します。渡部先生たち側の敗訴です。

 しかし、そこで諦めませんでした。盛岡地裁で敗訴した渡部先生たちは、今度は仙台高裁に控訴します。16回に及ぶ口頭弁論では、東京大学の憲法学者など数々の有識者たちも証人として出廷し、政教分離の原則を訴えていきます。この裁判も、4年近く続きました。

 そして、盛岡地裁への訴訟から数えれば実に10年が経った1991年1月、仙台高裁の裁判長は、天皇や総理による靖国神社の公式参拝も、岩手県による玉串料の奉納も、憲法に反する、違憲である、という主文を読み上げたんです。「靖国神社のために使用したお金を返還せよ」という渡部先生たちの訴え自体は退けられる形となりましたが、靖国神社への公式参拝や玉串料支出は違憲である、との説明が裁判長からなされたことは、全国的にも極めて画期的なことで、実質的には渡部先生たちの完全勝訴となりました。この日本という国が、再び天皇崇拝を強制し、従わない人々を迫害するような宗教国家とならないための闘い、すなわち信教の自由を守る闘いにとって、渡部先生たちによる「岩手県議会靖国神社訴訟」は、歴史的な第一歩となりました。

 これらの裁判を始めた時、渡部先生が書かれた「遺書」が残っています。結果から見れば、渡部先生は80歳になられた今年までご存命ですが、靖国神社を巡る裁判を闘うということは、反対派の中でも過激な右翼組織から命が狙われるような危険行為でもあります。この遺書の内容を一部引用させていただきます。


 遺 書

1981年3月15日

 いよいよ明日「靖国神社公式参拝」をめぐる住民訴訟を起こすにあたり、この訴訟が容易ならざる大変な訴訟であることを覚悟するとともに、生命の危険すら覚えるものであることを予想して、ここに遺書をしたためるものです。

 私の身に万が一何かが起こり死ぬことがあったとしても、私はクリスチャンとして、又、牧師として決して自殺することはありません。訴訟によって生命を落とすことがあったとしても、私は決して悔いるものではありません。今日の北上聖書バプテスト教会の臨時総会では、ほとんどの方が訴訟に反対でした。牧師として教会員の総意ともいえる訴訟反対の要望に応えることができないことで、10年間、愛と忍耐と祈りで私を支えてくれた方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。教会員の皆様が反対する気持ちもわかります。人間的には家族のことも心配ですし、教会のことも心配です。しかし、私はどうしてもやらねばならないのです。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」エステル記4:16

 ……人間には一生のうちで一度か二度、誰が反対しても、たった一人でも、生命の危険が起こってもやらねばならないこと、やり通さねばならないことがあるのではないでしょうか。それが神の召命ということです。召命とは誰一人理解してくれる人がいなくてもやらねばならないことです。……私の幸福とは長生きするとか、金を得るとか、人間的なこと、物質的なことではなく、神からの使命に生命を燃やすことが私の幸福なのです。ですから「靖国反対闘争」に生命をかけることは、実際に身体的生命を失うことがあっても、それでも私は幸福なのです。

 ……私は主イエス・キリストを救い主として信じており、永遠の生命を与えられています。この訴訟は生命がけ以下のことでは決してできないことを自覚しています。それだけに生命がけで訴訟に臨むことは、ある意味でクリスチャンでなければできないことであると思っています。

 ……主の御手に家族と教会と「靖国訴訟」を委ねます。

 「教会により、また、キリスト・イエスにより、栄光が世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」エペソ3:21

渡 部 敬 直

渡部敬直『草の根の叫び:町のヤスクニ闘争の記録』増補版2023年(初版1980年)、渡部敬直後援会、194-197頁

 この言葉を読みながら、私は今日の聖書箇所、イエス様のみことばを思い起こしていました。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」イエス様のこの言葉は、遺書というか、遺言のようなものです。私はこの闘いで死ぬかもしれない、いや、確実に死ぬだろう。しかし、たとえ死んだとしても終わりではない。「人の子は三日後によみがえります。」渡部先生が靖国闘争を闘うことができた、その勇気とエネルギーの源は、何よりもこの、イエス様の十字架であり、イエス様の復活です。

 この日本には今も、天皇や神社を中心とした国家を再び作りたいと願う組織があり、大きな力を持っています。「日本会議」とか、「神道政治連盟」という組織が、陰に陽に働き続けています。私も伝道師として、説教者として、一人のクリスチャンとして、このような人々と闘わなければならない日が来るかもしれません。この日本という国において、神様のみことばを取り次ぐ預言者として、権力者たちの暴走と闘わなければならない。

 もしかすればみなさんの中には、「宣愛先生、政治みたいなややこしいことに首を突っ込むようなことはしないで、もっと別のことに時間を使ったほうがいいじゃないですか?」とか、「教会っていうのは、伝道とか福祉とかをしていればいいじゃないですか。どうして、わざわざ人々に嫌われるようなことをするんですか?」と思われる方もあるかもしれません。もし私が、渡部先生のような闘いを始めたいと言ったら、盛岡みなみ教会の役員会や教会総会で、反対を受けることもあるかもしれません。私一人でエルサレムに向かおうとしても、だれも理解してくれず、一人で十字架にかかるしかない、そんな時が訪れるかもしれません。

 しかし、イエス様ご自身がそうであったように、たとえだれにも理解されなかったとしても、それが神様から与えられた使命であるなら、進んでいかなければならない。だれかにお願いされたわけではなかったとしても、だれかに助けを求められたわけではなかったとしても、むしろ、「そんな危険な場所には行かないでください」と止められたとしても、イエス様は先立って行かれた。だから私も、イエス様の後ろについていきます。暴力によってではなく、ことばの力によって、平和のために闘っていきます。キリスト者として生きるとは、そういうことだからです。私たちの先頭に立って、まっすぐにエルサレムに向かわれた、そのイエス様の弟子として生きるということは、そういう生き方であるはずだからです。お祈りをいたします。


祈り

 父なる神様。だれかに頼まれたわけでなかったとしても、だれからも理解してもらえなかったとしても、あなたから与えられた使命を果たさなければならない、そんな日が訪れたとき、私たちに勇気をお与えください。闘うための力をお与えください。自分自身が闘うことができないとしても、せめて、闘おうとする人々の背中を押し、勇気づけることができますように。「異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」このみことばこそ、私たちの希望です。私たちに先立って行かれたイエス様、私たちは驚き、恐れつつも、あなたについて行きます。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。