聖書の説教
ヨハネ3:1-15「新しく生まれなければ」(まなか師)

・・・・・・少し前に流行った歌で、King Gnuというグループの「白日」という歌があります。ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。その歌の中にこんな歌詞があります。〈真っ新に生まれ変わって 人生一から始めようが へばりついて離れない 地続きの今を歩いているんだ〉この歌詞からは、現代を生きる人たちの願いや求めが聞こえてくるように思います。人生を一から始めたい。生まれ変わって新しく生きたい。失敗も後悔もない、新しい人生を生きたい・・・・・・

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週報コラム
No.64【「“ヤス”のほうが嬉しいんですよね」】

◆我らが愛するKさんから、「実は、“K(苗字)”よりも、“ヤス”のほうが嬉しいんですよね」と言われたのはいつだったでしょうか。「ヤスさん」と呼ぼうとするんですが、「Kさん」という慣れた呼び方がなかなか抜けません。ヤスさん […]

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聖書の説教
マルコ8:38-9:1「神の国が力をもって」(宣愛師)

・・・・・・でも、本当に神の国は来たのでしょうか。神の国なんて来る前に、弟子たちはみんな死んでしまったのではないでしょうか。それどころか、二千年経った今でも、いつまで経っても神の国はやって来ないし、イエス様も来てくださらない。相変わらずこの世界は、戦争や貧困に満ちているじゃないか。相変わらずこの世界は人間の罪で満ちているじゃないか。本当に神の国は来るのでしょうか? イエス様が言っていたことは、全て間違いだったのでしょうか?・・・・・・

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週報コラム
No.63【フランシスコの平和の祈り】

◆ 「主よ、私をあなたの平和の道具とさせてください」 ―――“フランシスコの平和の祈り”として知られる有名な祈りの冒頭です。実際には、別の誰かが20世紀に書いた祈祷文だと言われますが、アッシジの聖フランシスコもこの祈りに […]

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聖書の説教
Ⅰヨハネ3:16-20「愛が分かったのです」(宣愛師)

・・・・・・「それによって愛が分かった」というのは、とても正直な言葉だなあと思います。「それまでは、私たちには愛が分からなかった」という告白だからです。……「愛」とは何か。私たちは分かったつもりかもしれません。小説を読んだり、漫画を読んだり、映画を観たりして、「ああ、これが愛か」と分かったつもりでいる。そして、分かったつもりの「愛」という言葉で、「いつまでも君を愛しているよ」と言ってみたり、「自分は本当に愛されているんだろうか」と悩んだりする・・・・・・

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週報コラム
No.62【国外宣教ウィーク(オンライン宣教報告会)】

◆〈聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。〉(使徒1章8節)―――この約束の通り、ペンテコステの日に聖霊が与えら […]

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聖書の説教
マルコ8:34-37「いのちの正しい使い方」(宣愛師)

・・・・・・私たちは、長野さんのような人格者ではないかもしれません。長野さんのように熱心な信仰もなければ、人から尊敬されるほど真面目に働いているわけでもないかもしれない。しかし、今日私たちが心に留めたいのは、長野さんの熱心さや真面目さではなく、“いのちについての考え方”です・・・・・・

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週報コラム
No.61【エルサレムから盛岡へ】

◆今日は盛岡みなみ教会の“創立19周年記念日”であり、“ペンテコステ”でもあるという、とっても贅沢で幸いな一日です。ただ、あまりに贅沢すぎて、説教でペンテコステについて触れる余裕が無くなっちゃったので、「ペンテコステから […]

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聖書の説教
マルコ8:22-34「はっきりと見えるように」(宣愛師)

・・・・・・私たちは、“イエス様がどれだけ楽しませてくださったか”だけでなく、“イエス様のためにどれだけ苦しむことができたか”ということも、恵みの一部として思い出しても良いと思います。盛岡みなみ教会のこの19年間の歩みも、楽しいことばかりではなかったはずです。色々な苦しみがあったはずです。しかし、それが「キリストのために苦しむこと」であったならば、それは私たちの恵みでもある・・・・・・

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週報コラム
No.60【「教会を育む説教の聞き方」】

◆昨日行われた「TCU学園デー」では、盛岡みなみ教会でも今年3月にご奉仕くださった朝岡勝(あさおかまさる)先生が、「教会を育む説教の聞き方」という題で講演をされました。今回の講演のキーワードは、「①書かれた説教」「②語ら […]

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