No.174【“謝罪”と“悔い改め”の違い】
◆アジア諸国に対する大日本帝国の植民地政策について、「日本はもう十分に謝罪した」と考える人もいれば、「まだ十分な謝罪はしていない」と考える人もいます。ところで、“謝罪”という言葉は、少なくとも新改訳聖書では一度も使われていません。聖書が求めているのは“謝罪”ではなく“悔い改め”だからです。では、“謝罪”と“悔い改め”の違いとは何でしょうか?
◆たとえばヨセフスは、自分を殺そうとした人物(ローマへの反乱運動家)を捕らえた時、「悔い改めて私を信じるなら赦す」と言いました(『自伝』110節)。この場合の「悔い改め」は、単なる謝罪ではなく、“ローマ帝国への敵対思想を捨てて、私の仲間になれ”という意味です。ヨセフスは反乱運動家に謝ってほしかったのではなく、政治的計画の“転換”を求めたのです。
◆イエス様も、「神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と語り、「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ6:27)、「剣を取る者はみな剣で滅びます」(マタイ26:52)と教えました。そこには、“暴力的な反乱運動に巻き込まれるな”という想いが込められていました。神が求める“十分な悔い改め”とは、敵を愛して剣を手放すという“転換”なのです。

