使徒の働き
使徒14:19-28「報告」(礼拝式シリーズ④|宣愛師)
・・・・・・個人的な祈りの課題を共有してくださる方もいます。「家族が体調不良です。お祈りください」という報告もあれば、「おかげさまで回復しました。お祈りありがとうございました」という報告もあります。進学や就職など、人生の大切な節目について、その悩みについて、報告をしてくださる人もいます。教会に初めて来られた方々はおそらく、この「報告」の時間に驚くでしょう。「どうしてこの人たちは、こんなにも正直に悩みを共有できるのだろうか? 家族でもない人たちに、自分の悩みや弱さを打ち明けることが恥ずかしくないのだろうか?」・・・・・
ルカ24:36-43「わたしにさわって、よく見なさい」(宣愛師)
・・・・・・私たちはどうでしょうか。子どもたちに何かを教えようとするとき、職場の後輩を教育しようとするとき、教会の仲間たちと関わろうとするとき、口先だけのアドバイスで満足してはいないでしょうか。「ゲームばかりしていないでちゃんと勉強しなさい」「もっと自覚を持って仕事に取り組みなさい」「クリスチャンならこうあるべきでしょう?」―――しかし、イエス様は違いました。「わたしの手やわたしの足を見なさい。わたしにさわって、よく見なさい。」・・・・・
使徒4:13-22「無学な普通の目撃者たち」(宣愛師)
・・・・・・ペテロとヨハネは「無学な普通の人」でした。ガリラヤ地方という田舎の湖で、網で魚を獲って生計を立てていた、ただの漁師でした。聖書の学者でもなければ、哲学の教師でもありませんでした。しかし彼らは、イエス様と出会ったのです。そして、最高法院のエリートたち、権力者たちを前にして、堂々と福音を語ったのです。生まれつき足が不自由で、四十歳になるまで歩けなかった人を、ペテロとヨハネは癒やしてしまうのです。「こいつらは一体何者だ?」と、権力者たちは驚きます。「無学な普通の人」のくせに、逮捕しても平気な顔だ。脅してもびくともしない。どうしてこんなにも堂々としていられるのか?・・・・・
使徒7:54-60「全能の父なる神の右に座したまえり」(使徒信条⑰|宣愛師)
・・・・・・神であるヤハウェの右の座に、王であるメシアがお座りになる。それは、ふかふかの椅子でゆっくりするためではなく、「敵」に勝利するためだと言うのです。そして、メシアが戦うとなれば、メシアの民も戦うのです……しかし、メシアの「敵」とは誰なのでしょうか。メシアの民、メシアのしもべたちが戦うべき「敵」とは、一体どこにいるのでしょうか。使徒の働き7章には、この「敵」との戦いを戦った一人の人物が登場します。ステパノと呼ばれるイエス様の弟子でした・・・・・
使徒1:9「天に昇り」(使徒信条⑯|宣愛師)
・・・・・・せっかく目に見えるようになってくださった神様が、また天に帰ってしまわれた。人々が手で触れることのできるイエス様が、また手の届かない場所に行ってしまわれた。マタイの福音書の最後の部分を見てみると、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(28:20)とイエス様は約束してくださいました。それなのに、はるか遠くにある天に帰ってしまわれた。「いつもあなたがたとともにいます」というイエス様のことばは、不安そうな弟子たちを励ますためのリップサービスに過ぎなかったのでしょうか・・・・・
使徒2:1-13「いろいろなことばで」(宣愛師)
・・・・・・神様がお望みになった世界は、一つの言語や民族や文化によって支配されるような、画一的な世界ではありませんでした。神様がアダムとエバにお命じになったのは、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記1:28)というご命令でした。創世記の10章には、神様のご命令通りに、多くの民族が世界中に広がっていく様子が記録されています。しかしバベルの人々は、そのように広がった民族や文化を、「一つの話しことば」によって支配し、一つの民族の中に閉じ込めようとします。これがバベルの人々の罪であり、やがてこの地に再び現れる、大バビロン帝国の罪でした・・・・・・
浜田献師「開かれた宣教の扉」(使徒11:19-30)
※本日は、日本同盟基督教団からブラジルに派遣されている浜田献(はまだけん)宣教師が、Zoomを通して宣教報告と説教をしてくださいました。また、オーストラリアのCovenant Christian Schoolの生徒たち6名と先生1名が見学に来られました。




