使徒信条
ヨハネ1:18「そのひとり子」(使徒信条④|宣愛師)
・・・・・・ある人は、「使徒信条はここから、ユダヤ教やイスラム教と袂を分かつことになる」と語りました。キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、この天地をお造りになった全能の神を信じている。そういう意味では、同じ神を信じていると言うこともできます。しかし私たちキリスト教徒が、使徒信条の第一部から第二部に進んで、「われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず」と告白する瞬間、ユダヤ教徒やイスラム教徒とは違う仕方で、神を信じるということになる・・・・・・
マルコ14:36「全能の父なる神」(使徒信条③|宣愛師)
・・・・・・「なぜ、“母なる神”ではなく“父なる神”でなければならないのか。神を“父”と呼ぶことによって、男女差別や男尊女卑が助長されてしまうのではないか。神を“父”と呼ぶことは、家族の中で一番偉いのは父親だという、家父長主義の負の遺産ではないのか。」たしかに、聖書が書かれた時代というのは、女よりも男のほうが偉いと言われる時代、そして家族の中で一番偉いのは父親だ、と言われる時代でした。しかし聖書が神を「父なる神」と呼ぶのは、男尊女卑の影響を受けたからでも、家父長主義を大切にしているからでもありません。むしろその逆です・・・・・・
創世記1:31「天地の造り主」(使徒信条②|宣愛師)
・・・・・・現代社会、特にこの日本という国では、「天地の造り主」を信じる人は多くありません。神が造ったのではなく、ビッグバンという大爆発によって始まったのだ。そして星たちが誕生し、太陽が誕生し、地球が誕生し、そこに生物が誕生し、豊かな自然が育まれ、やがて人間が誕生したのだと、学校の教科書に書かれています。しかし、教科書があまり真面目に取り扱おうとしない問いがあります。それは、「ビッグバンの前には何があったのか?」という問いです・・・・・・
ローマ10:1-11「われは信ず」(使徒信条①|宣愛師)
・・・・・・ローマ帝国の人々は皆、「カエサルこそが主である。カエサルこそがこの世界に真の平和をもたらす」と信じていました。それ以外の考えは許されない社会でした。そのような世界の中にあって、「私は、カエサルではなく、イエス・キリストが主であると信じる」と告白するのです。「われは信ず」という告白は、ローマ帝国という大きな「私たち」の中から、一人「私」という存在が一歩外に出て、新しい世界に飛び込むということを意味していました・・・・・・

