礼拝式次第
ヤコブ1:19-25「応答」(礼拝式シリーズ⑨|宣愛師)新着!!
・・・・・・ところが、「自分はみことばをちゃんと聞いているのに」という怒りが湧いている時、私たちは実は、聞いているようで聞いていないのです。みことばを「聞く」ということは、なによりもまず自分へのことばとして「聞く」ということです。それなのに、聖書を読んでいる時に、自分ではない誰かのことばかり考えている。「聖書にはこう書いてあるのに、どうしてあの人はあんな生き方しかできないんだろう」と、人をさばきながら聖書を読む。説教を聞いている時にも、「おお、この説教はまさにあの人のことだ。これを聞けばあの人も悔い改めるに違いない」と思って、礼拝堂の中でちらっとその人のほうを見てみたりする・・・・・
ネヘミヤ8:1-12「聖書朗読・説教」(礼拝式シリーズ⑧|宣愛師)
・・・・・・エズラ記ではまず、エルサレムの神殿が再建されます。続くネヘミヤ記の前半では、エルサレムの城壁が再建されます。しかし、なんだかうまくいかないのです。せっかく建て直した神殿には、神様のご栄光が現れない。せっかく建て直した城壁の内側も、人間の罪や争いで満ちている。私たちも同じです。立派そうな見た目をしていても、その内側には様々な問題がある。醜い罪や争いがある。そんな危機的な状況で、イスラエルの人々が求めたのは、神のことばでした・・・・・
Ⅱコリント9:6-15「献金・感謝祈祷」(礼拝式シリーズ⑦|宣愛師)
・・・・・・「ありがとう」の対義語は何か、という話を聞いたことがあります。「ありがとう」の対義語は「あたりまえ」だと。仕事に行けて当たり前。家族や友達がいて当たり前。学校に行けて当たり前。暖かい布団で眠れて当たり前。でも、それが決して当たり前ではないと気づく。以前、あるカルト宗教の被害にあった方のお話を聞きました。その人はやっとの思いでそこから抜け出したのだけれども、「神様を裏切った自分は地獄に落とされる」という恐怖で悪夢にうなされ続ける。私はその人の話を聞いて、「神様に愛されている」「十字架によって赦されている」と安心して生きられることが、全く「あたりまえ」ではないと知りました・・・・・
創世記3:1-6「暗唱聖句」(礼拝式シリーズ⑥|宣愛師)
・・・・・・蛇の誘惑は突然やって来ます。人生の重要な選択を迫られるとき、取り返しのつかないほどの罪の誘惑に迫られるとき、「聖書にはなんて書いてあったっけなあ」と本棚を探している暇はありません。「神様は私のことなんてどうでも良いのだ」「もう私の人生はおしまいだ」「生きている意味なんてない」と諦めそうになるときがあります。牧師の言葉も、友人の慰めも、届いてくれない夜があります。そんな夜にあなたを支えてくれるのは、あなたの心に刻まれたみことばだけです・・・・・
Ⅰテモテ2:1-6「牧会祈祷」(礼拝式シリーズ⑤|宣愛師)
・・・・・・衆議院の解散総選挙が決まりました。テレビやSNSが政治家の顔ばかりを映し出す季節がまた始まろうとしています。皆さんの中には、「政治家の顔を見るのもごめんだ」とチャンネルを変えてしまう方もおられるでしょうか。「どうせ嘘ばっかりだ」「誰がやっても同じだ」と政治に失望しておられる方、あるいは、「私たちクリスチャンは天の御国に属する者だ。地上の政治には関わりたくない」と距離を置こうとする方もおられるかもしれません……しかし、パウロは語ります・・・・・
使徒14:19-28「報告」(礼拝式シリーズ④|宣愛師)
・・・・・・個人的な祈りの課題を共有してくださる方もいます。「家族が体調不良です。お祈りください」という報告もあれば、「おかげさまで回復しました。お祈りありがとうございました」という報告もあります。進学や就職など、人生の大切な節目について、その悩みについて、報告をしてくださる人もいます。教会に初めて来られた方々はおそらく、この「報告」の時間に驚くでしょう。「どうしてこの人たちは、こんなにも正直に悩みを共有できるのだろうか? 家族でもない人たちに、自分の悩みや弱さを打ち明けることが恥ずかしくないのだろうか?」・・・・・
Ⅱ歴代誌5:11-14「賛美」(礼拝式シリーズ③|宣愛師)
・・・・・・キリスト教会の二千年の歴史を振り返ると、残念ながらそれは、“分裂の歴史”だったとも言えます。聖書理解の違いで分裂した時代もあり、政治的な理由によって引き裂かれた時代もありました。しかし、最も多くの教会に痛みを残してきたのは、実は“音楽”であったかもしれません。……なぜ音楽が教会を分裂させてしまうのでしょうか? 理由は三つあります。第一に、音楽は一人ではできないものだからです・・・・・
ヘブル10:19-25「招待」(礼拝式シリーズ②|宣愛師)
・・・・・・この世界は、色々な「招きのことば」で溢れています。テレビやYouTubeを観ていれば、「新モデル発売」とか、「◯◯店、リニューアルオープン」というようなCMが流れて来ます。それらの「招きのことば」は、どんな人を招いているのでしょうか。商品のためにお金を払ってくれるお客さんです。もしくは、「新規スタッフ募集中!未経験者大歓迎!」みたいな求人広告も流れてきます。それらの「招きのことば」が招いているのは、お店のために労働力を提供してくれる従業員です。……しかし、そのような世の中にあって私たちは、全く新しい「招きのことば」を耳にするのです。経済力や労働力とは全く関係無しに、私たちを招いておられる方の「招き」です・・・・・
ハバクク2:18-20「前奏」(礼拝式シリーズ①|宣愛師)
・・・・・・ところが、ピアノの奏楽が流れている間、私たちは一体何をすれば良いのでしょうか。とりあえず静かにしてみます。目を閉じてみて、心の中で祈ってみたりします。しかし、「主をお迎えする備えをいたしましょう」と言われても、一体どんな備えをすれば良いのだろうかとも思うのです。このような戸惑いは「前奏」に限ったことではありません……今日から始まるシリーズを学ぶ中で、これまではなんとなく過ごしてしまっていたかもしれない礼拝プログラムの時間が、これまで以上にかけがえのない時間となることを期待しています・・・・・









