創世記3:1-6「暗唱聖句」(礼拝式シリーズ⑥|宣愛師)
2026年2月8日 礼拝メッセージ(佐藤宣愛師)
旧約聖書『創世記』3章1-6節
1 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
曖昧な記憶と蛇の誘惑
先ほども2月の「月間聖句」をご一緒に読み上げました。私たちはなぜ、同じみことばを繰り返し読み続けるのでしょうか。教会の儀式だからでしょうか。そうではありません。私たちは、忘れてしまうからです。そして、忘れるだけではなく、都合よく書き換えてしまうからです。
聖書のみことばを暗記することを「暗唱聖句」と呼びます。ATMの暗証番号や、スマホのパスコードであれば、忘れたとしてもメモを見れば済むかもしれません。しかし私たちの人生には、メモを見返している暇もないような重大な場面もあります。時には、自分の身体一つで、頭の中にあるものだけで、心に刻まれているものだけで、立ち向かわなければならない闘いがあります。
創世記3章の蛇は、アダムとエバを力ずくで支配するようなことはしませんでした。彼らの心の中にある神様のみことばを、少しずつずらしていく。ほんの少し曖昧にさせる。そして、そこから世界をひっくり返していく。蛇の第一声はこれです。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
最初はエバも正しく答えました。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。」ここからが問題です。「しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」さて、ここで暗唱聖句です。神様が実際に仰ったことは、2章の16節と17節に書かれています。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」神様が実際に仰ったことと、エバの記憶には、いくつか違いがあります。小さな違いです。しかし蛇は、その“小さな違い”で人を滅ぼす。
エバとアダムの暗唱聖句
第一にエバは、「善悪の知識の木」を「園の中央にある木」と言い換えました。エデンの園の中央には二本の木がありました。「善悪の知識の木」と「いのちの木」です(2章9節)。「いのちの木」は食べて良いのです。ところがエバの言い方では、まるで「いのちの木」も禁止されているかのようです。神様が与えてくださった「いのち」の祝福を、祝福として受け取り損ねていたのです。
第二にエバは、「それに触れてもいけない」と付け加えました。神様はそんなことを一言も仰ってはいません。しかしエバの記憶の中で、神様は段々と厳しい方になる。段々と神経質になる。段々と口うるさくなる。蛇の作戦が成功し始めています。「ほら、神様って意地悪だろう?」
第三に、エバは神様が与えてくださった警告を真剣に受け止めませんでした。神様は「必ず死ぬ」と言ったのに、エバは「死ぬといけないからだ」と言いました。罪とは、人を死に至らせるものです。人を自滅に追い込む死の病です。しかしエバは、この罪の恐ろしさを理解していませんでした。罪というのは、やってもやらなくても大して問題のない事柄だと思い込んでいました。
蛇は勝利を確信したでしょう。「これで世界は私のものだ。」なぜなら、神のみことばが正確に記憶されていないからです。神様の御心を、神様の優しさを、神様の戒めの中にある愛の大きさを、人間たちが理解していないからです。蛇は言います。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
ぜんぶ真っ赤な嘘です。でも、神様のみことばを理解せず、曖昧な記憶しかなかったエバには、この真っ赤な嘘が響いてしまうのです。〈そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。〉
騙されたのはエバです。しかし、エバに言われるがまま木の実を食べたアダムも情けない。元はと言えば、「善悪の知識の木を食べてはならない」という命令を最初に聞いたのはアダムでした。神様のみことばを、アダムがエバにきちんと伝えなければならなかった。もし私たちが、みことばを曖昧にしか理解していないなら、周りにも曖昧な理解を広げてしまいます。私たちの家庭に、教会に、曖昧な信仰が広がっていく。すると、蛇の嘘がますます力を持つようになる。
人の言葉の届かない夜に
蛇の狙いはただ一つ、「神様は意地悪な方であり、人間のことなんて愛していない」と思わせることです。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」―――とんでもない!神様はアダムとエバのために、エデンの園にあるすべての木の実を、溢れるほど豊かに与えてくださったのです。神様が禁止したのはたった一つ、「善悪の知識の木」だけです。「善悪の知識」とは、神のようになろうとする知識です。人間が神になろうとして、他の人間を支配するような世界にならないためです。人間が神になろうとして、耐えられない重圧に押しつぶされないためです。神様が「善悪の知識」を禁じたのは、人を愛しておられたからでした。人が人として生きる自由を守るためでした。それなのに蛇は、真っ赤な嘘でこの世界を染め上げてしまった。
蛇の嘘を見破る道はただ一つです。本当の自由とは何か。本当の愛とは何か。その答えを思い出す道はただ一つです。みことばをもう一度聞くということです。そして、ただ聞くだけではなくて、心に刻むということです。メモを見なくても、いつでも思い起こせるように覚えるということです。「覚える」と言っても、一字一句正確に言えれば良いということではないでしょう。みことばを覚えるということは、神様の思いを理解するということです。その愛を理解するのです。
蛇の誘惑は突然やって来ます。人生の重要な選択を迫られるとき、取り返しのつかないほどの罪の誘惑に迫られるとき、「聖書にはなんて書いてあったっけなあ」と本棚を探している暇はありません。「神様は私のことなんてどうでも良いのだ」「もう私の人生はおしまいだ」「生きている意味なんてない」と諦めそうになるときがあります。牧師の言葉も、友人の慰めも、届いてくれない夜があります。そんな夜にあなたを支えてくれるのは、あなたの心に刻まれたみことばだけです。
2026年は「弱さがつなぐキリストのからだ」というテーマに基づいて、「弱さ」に関するみことばを毎月皆さんとご一緒に読んでいきます。一年が終わる時、年間聖句を含めると、私たちの心には少なくとも十三のみことばが刻まれているはずです。それは、「弱い人間は社会に必要ない」という蛇の嘘に立ち向かうためです。「弱い人間は愛される価値がない」というサタンの嘘を打ち破るためです。年間聖句、覚えていますか? 1月の月間聖句はどうでしょうか。大丈夫です、まだ間に合います! 覚えた人はぜひ、他の人にチェックしてみてもらいましょう。私も忘れていたので、また覚え直します。互いに励まし合いながら、みことばを愛する教会としてご一緒に歩みたいと思います。蛇が近寄ることのできないくらいに、みことばを守り、みことばに守られている教会として、神様がくださる愛と平安の中を歩んでいきたいと思います。お祈りをいたします。
祈り
私たちの父なる神様。みことばを記憶せず、あろうことか都合よく書き換える私たちです。「神を信じる人生は不自由だ」という蛇のことばに飲み込まれ、本当の自由を追い求めているつもりになって、神になろうと思い上がって不自由な私たちです。みことばを覚えることができますように。説教を聞いても、家に帰る頃には元通りの私たちではなく、真剣に耳を傾け、繰り返し声に出し、頭と心に刻むことができますように。蛇のつくり出す意地悪な神ではなく、真実の御姿を知り、愛されている者として歩むことができますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

