聖書の説教

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Ⅰコリント1:18-25「神の弱さは人よりも強い」(「弱さ」シリーズ③|宣愛師)新着!!

・・・・・・ニーチェはこう考えました。「キリスト教では“敵を赦すこと”を教えている。しかし、彼らは本当は敵を赦そうとしているのではない。彼らは、自分よりも強い人間に反撃する力がないから、仕方なく赦したことにしているだけだ。心の奥底では、『いつか神様があいつらを地獄に落としてくださる』と復讐心に燃えているのだ。キリスト教は、「弱さ」を善とみなし、「強さ」を悪とみなす“奴隷道徳”の上に成り立っている。本当は人間はもっと強くならなければならないのに、キリスト教は人々を堕落させ、弱いままで満足させ、社会を腐らせる諸悪の根源なのだ、と・・・・・

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ネヘミヤ8:1-12「聖書朗読・説教」(礼拝式シリーズ⑧|宣愛師)

・・・・・・エズラ記ではまず、エルサレムの神殿が再建されます。続くネヘミヤ記の前半では、エルサレムの城壁が再建されます。しかし、なんだかうまくいかないのです。せっかく建て直した神殿には、神様のご栄光が現れない。せっかく建て直した城壁の内側も、人間の罪や争いで満ちている。私たちも同じです。立派そうな見た目をしていても、その内側には様々な問題がある。醜い罪や争いがある。そんな危機的な状況で、イスラエルの人々が求めたのは、神のことばでした・・・・・

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Ⅱコリント9:6-15「献金・感謝祈祷」(礼拝式シリーズ⑦|宣愛師)

・・・・・・「ありがとう」の対義語は何か、という話を聞いたことがあります。「ありがとう」の対義語は「あたりまえ」だと。仕事に行けて当たり前。家族や友達がいて当たり前。学校に行けて当たり前。暖かい布団で眠れて当たり前。でも、それが決して当たり前ではないと気づく。以前、あるカルト宗教の被害にあった方のお話を聞きました。その人はやっとの思いでそこから抜け出したのだけれども、「神様を裏切った自分は地獄に落とされる」という恐怖で悪夢にうなされ続ける。私はその人の話を聞いて、「神様に愛されている」「十字架によって赦されている」と安心して生きられることが、全く「あたりまえ」ではないと知りました・・・・・

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創世記3:1-6「暗唱聖句」(礼拝式シリーズ⑥|宣愛師)

・・・・・・蛇の誘惑は突然やって来ます。人生の重要な選択を迫られるとき、取り返しのつかないほどの罪の誘惑に迫られるとき、「聖書にはなんて書いてあったっけなあ」と本棚を探している暇はありません。「神様は私のことなんてどうでも良いのだ」「もう私の人生はおしまいだ」「生きている意味なんてない」と諦めそうになるときがあります。牧師の言葉も、友人の慰めも、届いてくれない夜があります。そんな夜にあなたを支えてくれるのは、あなたの心に刻まれたみことばだけです・・・・・

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Ⅱコリント12:1-10「弱いときにこそ強い」(「弱さ」シリーズ②|宣愛師)

・・・・・・「大使徒」たちには救えないいのちがあります。「繁栄の神学」には癒せないたましいがあります。「弱さ」があるから、私たちは愛という「強さ」を手にするのです。「弱さ」があるから、私たちはイエス様の十字架に近づき、イエス様のような愛の人、愛の教会として歩むことができるのです。「この弱さを取り去ってください」と祈るのではなく、「この弱さを用いてください」と、感謝して祈ることができるのです・・・・・

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ヨハネ12:1-8「ユダの正論とマリアの愛」(まなか師)

・・・・・・今日の聖書箇所に記されたマリアの行いは、惜しみない愛、理屈を超えた献身として私たちの心を打ちます。しかし一方で、ユダが投げかけた「この香油を売って、貧しい人々に施すべきだ」という言葉も、聖書の正義に照らせば正しい考えです。実際に私たちも「そんなことにお金を使うなら、もっと困っている人のために使うべきではないか」という問いにぶつかることがあるでしょう。「礼拝をするための時間やお金があるなら、外に出ていって困っている人たちを一人でも多く助けたほうがいいんじゃないですか?」と尋ねられたら、皆さんは何とお答えになるでしょうか・・・・・・

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Ⅰテモテ2:1-6「牧会祈祷」(礼拝式シリーズ⑤|宣愛師)

・・・・・・衆議院の解散総選挙が決まりました。テレビやSNSが政治家の顔ばかりを映し出す季節がまた始まろうとしています。皆さんの中には、「政治家の顔を見るのもごめんだ」とチャンネルを変えてしまう方もおられるでしょうか。「どうせ嘘ばっかりだ」「誰がやっても同じだ」と政治に失望しておられる方、あるいは、「私たちクリスチャンは天の御国に属する者だ。地上の政治には関わりたくない」と距離を置こうとする方もおられるかもしれません……しかし、パウロは語ります・・・・・

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使徒14:19-28「報告」(礼拝式シリーズ④|宣愛師)

・・・・・・個人的な祈りの課題を共有してくださる方もいます。「家族が体調不良です。お祈りください」という報告もあれば、「おかげさまで回復しました。お祈りありがとうございました」という報告もあります。進学や就職など、人生の大切な節目について、その悩みについて、報告をしてくださる人もいます。教会に初めて来られた方々はおそらく、この「報告」の時間に驚くでしょう。「どうしてこの人たちは、こんなにも正直に悩みを共有できるのだろうか? 家族でもない人たちに、自分の悩みや弱さを打ち明けることが恥ずかしくないのだろうか?」・・・・・

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Ⅰコリント12:17-27「弱さがつなぐキリストのからだ」(宣愛師)

・・・・・・もし教会が、“計画通りにプログラムを進めること”を理想とするなら、じっとしていることが苦手な人たちや、衝動的に動く人たちは「困った人たち」に見えてしまうかもしれません。でも、もし教会に“計画通りに動く人”しかいないとしたらどうでしょうか。計画通りでないと許されない。計画したこと以外のことはできない。形式主義、マニュアル主義、冷たく硬直化した教会になってしまうかもしれません。そんな教会を、もっと自由でのびのびとした教会にしてくれるのが、一般的には「ほかより弱く見える」人たちなのかもしれません・・・・・

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ヨハネ11:38-40「信じるなら神の栄光を見る」(まなか師)

・・・・・・長年修復しようと努力してもうまくいかない家族関係。何度挑戦しても跳ね返される仕事や経済的な壁。あるいは、誰にも言えずに抱え続けてきた過去の傷や、こんな自分は変われないという無力感。私たちはそういった問題の前で立ち尽くし、「もうこれが自分の運命なのだ」とあきらめてしまうことがあります。……しかし、イエス様はこれから起こる「いのち」のわざを見ておられました。私たちが「もう手遅れだ」と思うその場所こそが、神様が働かれる舞台なのです・・・・・・

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