聖書の説教
Ⅰテモテ2:1-6「牧会祈祷」(礼拝式シリーズ⑤|宣愛師)新着!!
・・・・・・衆議院の解散総選挙が決まりました。テレビやSNSが政治家の顔ばかりを映し出す季節がまた始まろうとしています。皆さんの中には、「政治家の顔を見るのもごめんだ」とチャンネルを変えてしまう方もおられるでしょうか。「どうせ嘘ばっかりだ」「誰がやっても同じだ」と政治に失望しておられる方、あるいは、「私たちクリスチャンは天の御国に属する者だ。地上の政治には関わりたくない」と距離を置こうとする方もおられるかもしれません……しかし、パウロは語ります・・・・・
使徒14:19-28「報告」(礼拝式シリーズ④|宣愛師)
・・・・・・個人的な祈りの課題を共有してくださる方もいます。「家族が体調不良です。お祈りください」という報告もあれば、「おかげさまで回復しました。お祈りありがとうございました」という報告もあります。進学や就職など、人生の大切な節目について、その悩みについて、報告をしてくださる人もいます。教会に初めて来られた方々はおそらく、この「報告」の時間に驚くでしょう。「どうしてこの人たちは、こんなにも正直に悩みを共有できるのだろうか? 家族でもない人たちに、自分の悩みや弱さを打ち明けることが恥ずかしくないのだろうか?」・・・・・
Ⅰコリント12:17-27「弱さがつなぐキリストのからだ」(宣愛師)
・・・・・・もし教会が、“計画通りにプログラムを進めること”を理想とするなら、じっとしていることが苦手な人たちや、衝動的に動く人たちは「困った人たち」に見えてしまうかもしれません。でも、もし教会に“計画通りに動く人”しかいないとしたらどうでしょうか。計画通りでないと許されない。計画したこと以外のことはできない。形式主義、マニュアル主義、冷たく硬直化した教会になってしまうかもしれません。そんな教会を、もっと自由でのびのびとした教会にしてくれるのが、一般的には「ほかより弱く見える」人たちなのかもしれません・・・・・
ヨハネ11:38-40「信じるなら神の栄光を見る」(まなか師)
・・・・・・長年修復しようと努力してもうまくいかない家族関係。何度挑戦しても跳ね返される仕事や経済的な壁。あるいは、誰にも言えずに抱え続けてきた過去の傷や、こんな自分は変われないという無力感。私たちはそういった問題の前で立ち尽くし、「もうこれが自分の運命なのだ」とあきらめてしまうことがあります。……しかし、イエス様はこれから起こる「いのち」のわざを見ておられました。私たちが「もう手遅れだ」と思うその場所こそが、神様が働かれる舞台なのです・・・・・・
Ⅰヨハネ1:1-2「いのちのことば」(宣愛師)
・・・・・・今日、Kくんが洗礼を受けます。洗礼とは、“死のことば”から“いのちのことば”へ、“死のロジック”から“いのちのロジック”へ、全く新しい人生を始めるための儀式です。今日Kくんが洗礼を受けるのは、一年か二年くらい聖書を学んで、教会に通って、「もうそろそろ罪はなくなったかな」と言えるような、「自分には罪がない」と言えるような、そんな立派なクリスチャンになったからではありません。そうではなく、むしろ逆です。「自分には罪がない」と言わなければならない、思い込まなければならない、そんな“死の論理”から解放されて、自分の罪を素直に認めることのできる幸い、自分の罪を認めてもなお深い赦しと愛を頂いている幸いを知ったからこそ、Kくんは洗礼を受けるのです・・・・・
ルカ24:36-43「わたしにさわって、よく見なさい」(宣愛師)
・・・・・・私たちはどうでしょうか。子どもたちに何かを教えようとするとき、職場の後輩を教育しようとするとき、教会の仲間たちと関わろうとするとき、口先だけのアドバイスで満足してはいないでしょうか。「ゲームばかりしていないでちゃんと勉強しなさい」「もっと自覚を持って仕事に取り組みなさい」「クリスチャンならこうあるべきでしょう?」―――しかし、イエス様は違いました。「わたしの手やわたしの足を見なさい。わたしにさわって、よく見なさい。」・・・・・
使徒4:13-22「無学な普通の目撃者たち」(宣愛師)
・・・・・・ペテロとヨハネは「無学な普通の人」でした。ガリラヤ地方という田舎の湖で、網で魚を獲って生計を立てていた、ただの漁師でした。聖書の学者でもなければ、哲学の教師でもありませんでした。しかし彼らは、イエス様と出会ったのです。そして、最高法院のエリートたち、権力者たちを前にして、堂々と福音を語ったのです。生まれつき足が不自由で、四十歳になるまで歩けなかった人を、ペテロとヨハネは癒やしてしまうのです。「こいつらは一体何者だ?」と、権力者たちは驚きます。「無学な普通の人」のくせに、逮捕しても平気な顔だ。脅してもびくともしない。どうしてこんなにも堂々としていられるのか?・・・・・
コロサイ1:15-20「万物の根源:なぜ私たちは何もかも上手くいかないのか?」(宣愛師)
・・・・・・「なぜ何もかも上手くいかないのだろうか」「どうすれば上手くいくのだろうか」と絶望するような現実。デモクリトスはこう答えるかもしれません。「どうせこの世界は原子の塊に過ぎないのだ。私たちのこの身体も、いつかは分解されて原子に戻るだけなのだから、悩んだってしょうがないじゃないか。」ピタゴラスはこう答えるかもしれません。「あなたの人生が問題だらけなのは、あなたが規則正しい生活をしていないからだ!数が表す調和に則って規則正しい生活をすれば、すべての苦しみや問題は解決されるだろう!」しかし、聖書の答えは違うのです・・・・・
第二歴代誌5:11-14「賛美」(礼拝式シリーズ③|宣愛師)
・・・・・・キリスト教会の二千年の歴史を振り返ると、残念ながらそれは、“分裂の歴史”だったとも言えます。聖書理解の違いで分裂した時代もあり、政治的な理由によって引き裂かれた時代もありました。しかし、最も多くの教会に痛みを残してきたのは、実は“音楽”であったかもしれません。……なぜ音楽が教会を分裂させてしまうのでしょうか? 理由は三つあります。第一に、音楽は一人ではできないものだからです・・・・・
ヨハネ11:1-6「あなたが愛しておられる者が」(まなか師)
・・・・・・「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」不思議なことに「ラザロが病気です」とか「弟が病気です」とは言いませんでした。「あなたが愛しておられる者が病気です」と言ったのです。……私たちも、自分や家族が苦しい状況に置かれたとき、ひどく弱っているとき、「神様が愛してくださっているはずなのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか」と思うことがあります。神様が私を愛してくださっているなら、どうしてこんなことが起こるのか。なぜ神様はこんな苦しみをお許しになるのか・・・・・・










