聖書の説教

聖書の説教
マルコ1:16-20「人間をとる漁師」

・・・・・・みなさんは、「人間をとる漁師」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか? もしかすると、〈他の人に福音を伝えてあげて、救いに導いてあげる人〉というようなイメージを思い浮かべるかもしれません。もちろんそれも間違っていません。しかし、「人間をとる漁師」と言ったとき、イエス様はもう少し違ったイメージを持っておられたのではないかと思います・・・・・・

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マルコ1:14-15「神の国が近づいた」

・・・・・・今もこの世界には、食べ物がなくて困っている人がたくさんいるし、戦争だって無くならないじゃないか? 今もこの世界にはいろいろな「悪」があって、たくさんの人を苦しめているじゃないか? 「神の国」なんて本当に来るのか? 祈っても無駄なんじゃないか? そうやって私たちは、「神の国」の「福音」を信じられなくなることがあるかもしれません・・・・・・

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マルコ1:9-13「ともに苦しむ王」

・・・・・・残念ながら、今日の説教の時間だけでは、それらの疑問に全てお答えすることはできません。ただし今日は、大切な一つの疑問に焦点を絞って考えてみたいと思っています。その大切な疑問とは、「なぜイエス様はバプテスマを受けたのか?」という疑問です・・・・・・

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三浦陽子師「へりくだる者への主の恵み」(Ⅰペテロ5:1-7)

(※午後の就任式で司式をしてくださった三浦陽子(みうらようこ)先生が、群馬県の安中聖書教会から来てくださり、午前の礼拝でもメッセージをしてくださいました。)

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マルコ1:2-8「悔い改めのバプテスマ」

・・・・・・私たちがバプテスマを受けたのは、〈自分の力で立派に生きていけると思ったから〉ではありません。私たちがバプテスマを受けたのは、〈聖霊様がいなければ自分は生きていけないと分かったから〉です・・・・・・

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マルコ1:1「あなたの神は王であられる」

・・・・・・つまり、ここで大事なのは、「あなたの王は誰か?」ということだと思うのです。「あなたが尊敬し、何よりも大切にし、この人には従うと心に決めている王は誰なのか?」ということです。それはプーチンなのか、ヒトラーなのか、天皇なのか、もしくは他の誰かなのか・・・・・・

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第一ペテロ3:8-9「何のために召されて」

・・・・・・そして今日は、今月の最後の説教として、キリスト教に対するもう一つの批判を取り上げたいと思います。キリスト教に対して昔から言われ続けてきた批判であり、私も実際に言われたことのある批判です。それは、「選ばれた人しか救われないなんて、キリスト教も結局、自己中心的な宗教なんじゃないの?」というものです・・・・・・

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第一ペテロ3:15b「復活を説明できますか」

・・・・・・もちろん、イエス様の復活を否定する主張は他にもありますが、この3つが最も代表的なものでしょう。〈①イエスは実は死んでいなかった〉〈②弟子たちは幻覚を見ていた〉〈③復活は弟子たちの作り話だった〉。果たして、本当にそうなのでしょうか?・・・・・・

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マタイ20:20-23「この杯が飲めますか」

・・・・・・神様を信じれば祝福していただける。イエス様を信じれば救っていただける。それはもちろん、間違いじゃないはず。でも、それだけ、なんだろうか。キリスト教っていうのは本当に、そんなに単純なものなんだろうか・・・・・・

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ヨハネ11:1-11「わたしは彼を起こしに行く」

・・・・・・ある宣教師の方から聞いた話なのですが、一人の中学生から、こんな質問をされたそうです。「この世界にはいろいろな宗教があるのに、いろいろな神様がいるのに、どうしてイエス様だけを礼拝するの?」・・・・・・

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