聖書の説教
マルコ7:24-30「食卓の下の小犬」(宣愛師)
・・・・・・今の時代は、権利を主張する時代です。「私たちにはこういうことをする権利がある!」とか、「私たちにはこれこれのサービスを受ける権利がある!」というような主張が至るところで繰り広げられている時代です。もちろん、そうやって権利を主張することは必要なことです。……ただ、もしかすると私たちは、そういう「権利」というものに慣れてしまって、「人権」という考え方に慣れてしまって、神様に対しても同じようなことを主張してしまいがちかもしれません・・・・・・
ヨハネ20:19-20「喜ぶことを忘れても」(宣愛師)
・・・・・・強制収容所から解放された囚人たちは、解放されたからすぐに喜べるかと言うと、実はそうもいかない。「本当にここは安全な場所なのか」と恐れる日々が続くんだそうです。……でも、そうやって疑ったり恐れたりしながら、少しずつ少しずつ、地獄のような日々が終わったという事実を受け入れていくんです。何日も何日もかけて、「喜ぶということを学び直さなければならない」・・・・・・
ヨハネ13:31-35「互いの間に愛があるなら」(宣愛師)
・・・・・・〈わたしがあなたがたを愛したように〉とはどういうことでしょうか? これは単に、「イエス様がものすごく愛してくださったように、私たちもものすごく愛し合う」というような、愛の大きさの話だけではありません。イエス様がここで言いたかったのは、「あなたがたはわたしを裏切ったけれど、それでもわたしがあなたがたを愛したように」ということです・・・・・・
マルコ7:1-23「人間の言い伝え」
・・・・・・モーガン・スコット・ペックというアメリカの有名な精神科医が、『平気でうそをつく人たち』というベストセラーを書いています。この本の中でペック博士が論じているのは、「“邪悪な人間”とはどういう人間か」ということです。みなさんはどう思いますか? “邪悪な人間”というのは、どのような特徴を持っていると思いますか? ペック博士は次のように指摘します・・・・・・
マルコ6:45-56「パンのことを理解せず」
・・・・・・すると、その教会の主任牧師が言いました。「ゆっくりとこちらにやって来るあの老婦人がお分かりでしょう。彼女はこの教会でもっとも重要な会員です。大変裕福な女性で、教会の働きの最大の支持者です。」……そこでロイドジョンズ牧師は、その婦人に挨拶をしました。するとその婦人はこう言ったそうです。「夜の礼拝では、クリスチャンではない人向けの説教をされるんですね。それでは、私は夜に来ます。」・・・・・・
マルコ6:30-44「パンはいくつありますか」
・・・・・・「彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので」とあります。羊飼いのいない羊の群れ。凶暴な狼が襲ってくるのに、守ってくれる羊飼いがいない。お腹が空いてペコペコなのに、青草がある場所に連れて行ってくれる羊飼いがいない。自分たちが進むべき道も、帰るべき場所も、羊飼いがいなければわからない。路頭に迷ってしまって、「イエス様、私たちはどうやって生きていけばいいんですか」と、必死に求める・・・・・・
マルコ6:14-29「ヨハネが備えた道」
・・・・・・私たちはこのヨハネの人生を、どのように評価すべきでしょうか? 三通りの可能性があると思います。第一の可能性は、〈ヨハネはイエス様の道を備えることができず、無残に殺されてしまった。〉第二の可能性は、〈ヨハネはイエス様の道を備えることができたが、最後は殺されてしまった。〉そして第三の可能性は、〈ヨハネはイエス様の道を備えることができ、最後に殺されることによって、その道を完全に備えた。〉・・・・・・

