コリント人への手紙 第一

聖書の説教
Ⅰコリント12:17-27「弱さがつなぐキリストのからだ」(宣愛師)

・・・・・・もし教会が、“計画通りにプログラムを進めること”を理想とするなら、じっとしていることが苦手な人たちや、衝動的に動く人たちは「困った人たち」に見えてしまうかもしれません。でも、もし教会に“計画通りに動く人”しかいないとしたらどうでしょうか。計画通りでないと許されない。計画したこと以外のことはできない。形式主義、マニュアル主義、冷たく硬直化した教会になってしまうかもしれません。そんな教会を、もっと自由でのびのびとした教会にしてくれるのが、一般的には「ほかより弱く見える」人たちなのかもしれません・・・・・

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聖書の説教
第一コリント15:35-44「からだのよみがえり」(使徒信条㉓|宣愛師)

・・・・・・皆さんは「こんな身体、脱ぎ捨ててしまいたい」と思ったことはないでしょうか。身体というのは厄介なものです。若くて健康な頃には元気に動いていた身体が、病気や怪我を重ねながら、段々と動かなくなっていく。肌は衰え、筋肉は弱り、腰は曲がり、苦痛に悩まされるようになる。かといって、若い人は若い人で大変です。思春期になれば、身体のあちこちが変化していきます。頼んでもいないのに形が変わったり、勝手に毛が生えてきたりして、自分の身体が自分の身体ではないように思えてくる。見た目が気になってしまって、人と比べて、自分が嫌いになっていく・・・・・

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聖書の説教
第一コリント1:10-17「聖なる公同の教会」(使徒信条⑳|宣愛師)

・・・・・・しかしそれにしても、なぜわざわざ「われは教会を信ず」と告白するのでしょうか。「父なる神を信ず」「主イエス・キリストを信ず」「聖霊を信ず」ということなら分かります。しかし、なぜ「教会を信ず」と告白するのでしょうか。それは、教会を信じられない、という現実があるからではないでしょうか。皆さんはいかがでしょうか。教会を信頼できない、教会につまずいた、失望した、という経験はないでしょうか・・・・・

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聖書の説教
第一コリント8:4-6「われらの主」(使徒信条⑤|宣愛師)

・・・・・・使徒信条の学びも五回目となります。本日は、「われらの主イエス・キリストを信ず」という信仰告白について、特に「われらの主」という言葉について、ご一緒に学びたいと思います。そしてそれと同時に、「宗教は自由を与えるのか、それとも、ある種の制約や義務を伴うものなのか?」というこの問いについても、聖書を通して考える機会となればと思います・・・・・・

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聖書の説教
秋山善久師「いつまでも残る愛」(Ⅰコリント13:1-13)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第3回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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聖書の説教
秋山善久師「主のからだである教会」(Ⅰコリント12:17-27)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第3回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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聖書の説教
秋山善久師「キリストにある交わり」(Ⅰコリント10:15-18)

※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝(第2回)でした。主任牧師の秋山善久先生が説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。

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