マルコの福音書

聖書の説教
マルコ14:32-42「わたしの望むことではなく」(宣愛師)

・・・・・・「みんなが神様を忘れちゃう時って、どんな時?」すると、秋田から来ていた一人の男の子が、面白い答えをしてくれました。「ん~、楽しい時かなあ?」なかなか本質的な答えだと思いました。楽しい時に、私たちは神様を忘れてしまう。神様抜きで生きていけるかのような錯覚をしてしまう。でも、苦しくなると、辛い状況に陥ると、神様を思い出す。普段の祈りはテキトーなのに、お腹が痛くなった時にトイレの中で祈る祈りは誰よりも熱心。……イエス様の祈りは、“苦しい時の神頼み”ではなかった。「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ14:22-31「神の国で新しく」(宣愛師)

・・・・・・私はこれまで何人かの方に、“洗礼を受けない理由”を尋ねたことがあります。なぜ洗礼を受けないのか。ある人は、「まだまだ聖書の勉強が足りないからです」と答えてくれました。「家族に反対されているからです」と答えてくれた人もいました。理由は人それぞれです。こんなふうに答えてくれた人もいました。「もし洗礼を受けても、いつかイエス様を裏切ってしまうかもしれないから。」真面目な人でした。「洗礼を受けて、聖餐も受けさせていただくようになっても、もしイエス様を裏切ってしまったら、信仰を捨ててしまうようなことがあったら、それが一番申し訳ない。それが一番やってはいけないことだと思う。だから、私はまだ洗礼は受けられないんです。」・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ14:10-21「十二人の一人」(宣愛師)

・・・・・・ユダは本当に悪者だったのだろうか。実はそんなに悪い奴じゃなかったのではないか。いや、むしろユダこそが、イエス様のお考えを理解していたのではないか。そうやってユダを救ってあげたい気持ちはよく分かるんです。「実は裏切り者ではなかった」と再解釈してあげることによって、ユダを救ってあげたい。でも、そうやってユダの罪を無かったことにしてあげることが、本当にユダを救うことになるのだろうか、とも思うんです。「実は裏切り者ではなかった」「実はそんなに悪い奴じゃなかった」。そういう主張の裏には、「本当に裏切り者だったら、そんな奴は赦されるはずがない」という前提があるのだと思います・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ14:1-9「この人の記念として」(宣愛師)

・・・・・・トモヱ学園の前身となった学校は、手塚岸衛(きしえ)という教育者が創設した「自由ヶ丘学園」です。この学校も、名前の通り自由教育の理念によって創設されました。今でも東京の目黒区に「自由が丘」という地名がありますが、これは「自由ヶ丘学園」に合わせて付けられた地名だそうです。太平洋戦争の頃、「自由」という言葉は大日本帝国の思想に相応しくないとして、地名を変更するよう圧力をかけられたそうです。「自由」なんていう考え方は、お国の戦争のためには不必要だ、と。しかし、自由が丘の住民たちはこの地名を守り通した。自由ヶ丘の人々、トモヱ学園の人々は、市民の自由を奪う圧力や、子どもの自由を奪う教育に対して立ち向かったのです・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ13:32-37「目を覚ましていなさい」(宣愛師)

・・・・・・祈りは信仰生活の基本です。しかし、祈ることができない、祈る気力が沸かない、そういうこともあるでしょう。……「生活の思い煩いで押しつぶされて」いる。あれやこれやが心配になって、プレッシャーになって、身動きが取れない。祈ることもできず、聖書を開くこともできず、布団に倒れ込む。かと言って、不安でよく眠ることもできず、結局朝まで時間を浪費してしまう。祈っていないから調子が悪いのか、調子が悪いから祈っていないのか。たぶん両方なのでしょう。でも、そんな時にも、誰かが私のために祈っている・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ13:24-31「しかし、わたしのことばは」(宣愛師)

・・・・・・法律を守って命を落とした、一人の裁判官。……「裁判官として相応しい死に様だ。他の裁判官も彼に見倣うべきだ」と言って、彼の死を称賛する人もいました。しかし他方で、「法律を守るために死ぬなんて、そんな死に方はあってはならない」と言う人たちもいました。……「人間、生きてこそだ。国や法、人間が定めたもんは、あっという間にひっくり返る。ひっくり返るもんのために、死んじゃならんのだ。……」……ひっくり返らないもの、永遠に続くもののために、この人生を使うことができたら、どれだけ満足のいく人生を生きられるでしょうか。では、ひっくり返らないものとは、一体どこにあるのか・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ13:14-23「山へ逃げなさい」(宣愛師)

・・・・・・その人が洗礼を受けない理由はいくつかあるらしいのですが、大きな理由の一つは、「もし迫害を受けるようなことがあったら、自分は信仰を捨ててしまうと思うから」とのことでした。……たしかに、洗礼を受けるということは、そのような覚悟をすることでもあります。しかし、その逆のこともあるんです。イエス様への信仰を守り通し、イエス様のみことばに従ったことによって、一時的には苦しむことになったけれど、結果的には大きな苦しみから逃れることができた、ということもあるんです・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ13:9-13「最後まで耐え忍ぶ人」(宣愛師)

・・・・・・イエス様は、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます」と言いました。そして実際に、イエス様を信じる人々は、狭いエルサレムの中でも、広いローマ帝国の中でも、あらゆる社会から憎まれ、迫害を受けました。中には殺される人もいました。なぜ憎まれるのでしょうか? イエス様の教えに従う人々はなぜ、社会から憎まれてしまうのでしょうか?……キリスト教が社会から憎まれる最大の理由。それは、キリスト教が“差別の壁”を壊そうとするからです・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ13:3-8「産みの苦しみの始まり」(宣愛師)

・・・・・・今日の説教でも、キリスト教に対する一つの批判を取り扱いたいと思っています。その批判というのは、「聖書には『世の終わりが来る』と書いてあるのに、世の終わりなんて来ないじゃないか」というものです。「世の終わりなんて来ないじゃないか!聖書には『世の終わりにキリストが再び来て、この世界を裁く』と書いてあるのに、聖書が書かれてから二千年近く経った今でも、世の終わりなんて全然来ないじゃないか!聖書もキリストも嘘つきじゃないか!」と。この批判に答えるためには、そもそも「世の終わり」とは何なのか、聖書には何と書かれているのか、ということを確認する必要があります・・・・・・

続きを読む
聖書の説教
マルコ13:1-2「崩れ去る神殿」(宣愛師)

・・・・・・私たちはどうしても、崩れないもののほうが良いと思い込んでしまうでしょう。崩れないものを積み上げて、人生を確かなものにしていこう、と考えるものです。「人生のキャリアを積み上げる」という表現が使われることもあります。「お金をこつこつ積み立てましょう」と言われることもあるでしょう。勉強も、「こつこつ積み上げていかないとすぐに他の人に置いていかれる」などと言われて、私たちは焦ってしまうものです。……しかし神様は、「崩れたっていいじゃないか」と仰るんです。「崩れないようなものを作らなくていいじゃないか」と仰るんです・・・・・・

続きを読む