聖書の説教

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マルコ1:40-42「深くあわれみ、彼にさわり」

・・・・・・実は、「深くあわれみ」という言葉は、おそらく元々のギリシャ語では、「怒って」という言葉でした。……それでは、どうしてイエス様はこのとき「怒った」のでしょうか? ツァラアトに冒されている人が、ルールを破って勝手に近づいてきたことに怒ったのでしょうか?・・・・・・

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秋山善久師「良い牧者キリスト」(ヨハネ10:11-18)

(※本日は仙台のぞみ教会と盛岡みなみ教会の合同礼拝でした。主任牧師の秋山先生が仙台から来てくださり、説教と聖餐式のご奉仕をしてくださいました。盛岡みなみ教会としては、2年振りの聖餐式となりました。)

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マルコ1:32-39「さあ、別の町へ行こう」

・・・・・・どうしてイエス様は、悪霊たちを黙らせたのでしょうか?「彼らがイエスのことを知っていた」、つまり、〈イエス様が神の子キリストだということを知っていた〉なら、黙らせるのではなく、むしろ喋らせておいたほうが良いのではないでしょうか? そうすれば、たくさんの人々が、イエス様がキリストだということを信じられるのではないでしょうか?・・・・・・

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マルコ1:29-31「捨てられた家、救われる家」

・・・・・・家庭と教会の両立。この問題はしばしば、私たちクリスチャンを苦しめます。「イエス様なんて信じないほうが、私も私の家族も幸せなんじゃないか」と思うことだってあるかもしれません。「教会なんて行かないほうが、家族と家でゆっくり過ごせるし、もっとたくさん出かけられるし、私にとっても家族にとっても、良いことなんじゃないか」と思うことだってあるかもしれません・・・・・・

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マルコ1:21-28「黙れ。この人から出て行け」

・・・・・・私たちはよく、「キリスト教」という言葉を使います。「キリスト教を信じています」とか、「キリスト教の教会に通っています」というように、「キリスト教」という言葉を使います。しかし、私たちは、どのような意味で「キリスト教」という言葉を使っているのでしょうか。「キリストについての教え」という意味でしょうか。「キリスト教会で教えられている教え」という意味でしょうか・・・・・・

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マルコ1:16-20「人間をとる漁師」

・・・・・・みなさんは、「人間をとる漁師」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか? もしかすると、〈他の人に福音を伝えてあげて、救いに導いてあげる人〉というようなイメージを思い浮かべるかもしれません。もちろんそれも間違っていません。しかし、「人間をとる漁師」と言ったとき、イエス様はもう少し違ったイメージを持っておられたのではないかと思います・・・・・・

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マルコ1:14-15「神の国が近づいた」

・・・・・・今もこの世界には、食べ物がなくて困っている人がたくさんいるし、戦争だって無くならないじゃないか? 今もこの世界にはいろいろな「悪」があって、たくさんの人を苦しめているじゃないか? 「神の国」なんて本当に来るのか? 祈っても無駄なんじゃないか? そうやって私たちは、「神の国」の「福音」を信じられなくなることがあるかもしれません・・・・・・

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マルコ1:9-13「ともに苦しむ王」

・・・・・・残念ながら、今日の説教の時間だけでは、それらの疑問に全てお答えすることはできません。ただし今日は、大切な一つの疑問に焦点を絞って考えてみたいと思っています。その大切な疑問とは、「なぜイエス様はバプテスマを受けたのか?」という疑問です・・・・・・

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三浦陽子師「へりくだる者への主の恵み」(Ⅰペテロ5:1-7)

(※午後の就任式で司式をしてくださった三浦陽子(みうらようこ)先生が、群馬県の安中聖書教会から来てくださり、午前の礼拝でもメッセージをしてくださいました。)

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マルコ1:2-8「悔い改めのバプテスマ」

・・・・・・私たちがバプテスマを受けたのは、〈自分の力で立派に生きていけると思ったから〉ではありません。私たちがバプテスマを受けたのは、〈聖霊様がいなければ自分は生きていけないと分かったから〉です・・・・・・

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